偉人伝ではない、ヒロイン像の画期性
モデルである笠置シヅ子さんの、「戦後の日本を元気づけた大スター」という光り輝く一面と、複雑な生い立ちを持ち、愛する弟、母、婚約者、父を喪い、シングルマザーとして生きたという史実。この激動の人生を参考に、フィクションのドラマとしてどう表現するか。
「昭和の大スターのサクセスストーリーと、波乱万丈のバックステージ」として描くならば、どこかの民放の開局○十周年記念の3時間ドラマがやりそうだ。しかし『ブギウギ』は「笠置シヅ子物語」ではなく、福来スズ子が主人公のフィクションだ。作り手は笠置さんの自伝や評伝から汲み取った「義理と人情」「ユーモア」というエッセンスを大事にしながら、福来スズ子という新たなキャラクターを作り上げた。
「歌手・福来スズ子と昭和芸能史」ではなく、スズ子の目線を貫き、スズ子の目の前で起こることをひたすら描いた。『ブギウギ』は偉人伝ではない。福来スズ子は人気スターだが、花田鈴子はスーパーウーマンでも「選ばれた特別な人」でもない。足りないところも多い、矛盾を抱えるひとりの女性だ。揺らぐしブレるし、泣きながら、鼻水を垂らしながら、文句も垂れる。弱音も吐く。でもそこが人間らしい。こんなヒロインがいたっていいじゃないか。
スズ子の中に両親の魂が息づく…趣里の演技の白眉
第5週「ほんまの家族や」の22話で、スズ子は香川で出生の秘密を知って帰ってきたが、梅吉とツヤ(水川あさみ)にそれを話さず胸の内にしまうと決めた。梅丸少女歌劇団の稽古場に戻り、雑巾がけのルーティーンをこなしたあとに流れるモノローグが耳に残る。
「こうして、ワテの休暇は終わった。またいつもどおり、稽古と本番の日々や」
どんなに悲しくても辛くても、ステージは続く、人生は続く。そしてまた、舞台に立つことこそがスズ子を生かした。愛する人たちとの度重なる別れを「乗り越える」のではなく、抱きしめて板の上に立ち、スズ子は歌った。スズ子の歌には、そして『ブギウギ』というドラマには、明るさの中に一抹の苦味を感じる。ヒロインに趣里が選ばれたのは、この表現ができるからなのだと思わされた。
このドラマは、「ステージ」と「日々の暮らし」を「表と裏」として対比させるのではなく、地続きであるとして描いた。だからこそ「生きること」が糧となり、豊かさを増して進化していくスズ子の「歌」に説得力があった。おばちゃんになったスズ子の中に、血のつながらないツヤと梅吉の魂が息づいているのを、ふとした瞬間にのぞかせる趣里の演技が白眉だった。