4歳の女児を死に至らしめたのは母親だけなのか

「こうのとりのゆりかご」への預け入れについて、慈恵病院への照会は三重県警、三重県地検のいずれからもなかったという。

弁護人は裁判の冒頭、過熱報道で家族が傷ついたと、報道に対し苦言を呈した。だが、報道のあり方に注文をつけるよりも、司法の場で被告の困難を医学的見地から検証することで回復された被告と家族の名誉があったのではないか。また、追い込まれていく母親の困難を見過ごした行政責任に弁護人が触れることはなかった。

三女を死に至らしめたのは母親だけなのだろうか。母親のシグナルを無視した福祉行政の構造的な欠陥、被告を取り調べ、罪(責任の所在)を追及する検察の恣意しい性。そして、それらの底辺にある「血の繋がった母親なら育てられる」という私たちに浸みわたった思い込みも、共犯者なのではないだろうか。

弁護士が読み上げた、娘たちから被告に宛てて書かれた手紙は、涙を誘うものだった。

「世界一のお母さん」「産んでくれてありがとう」「早く帰ってきて」との言葉は、被告が長女と次女に対してはよき母だったことをうかがわせた。

写真=iStock.com/HearttoHeart0225
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事件の根本原因が素通りされた裁判員裁判

証人尋問に立った被告の母は、被告を孤立させてしまったことやコロナ禍の影響で工場経営が厳しく被告への給与支払いが滞りがちになっていたことを悔やみ、現在は三女の供養に毎日読経していると明かした。被告は働き通してきた親に心配をかけて申し訳ないと涙を流した。

だが、二度の孤立出産と経済的な困窮が放置された事実を考えると、両親にも被告の課題に気づききれなかった何らかの障壁があったことをうかがわせるもののように見るほかない。被告と母は互いを気遣っているにもかかわらず、哀しいことにすれ違っている。

弁護人質問ではっとする場面があった。「私自身、発達障害だと思うんです」と被告が述べたのだ。だが弁護人は言葉の意図を掘り下げることなく、被告の発言は三女の発達障害の悩みに移っていった。そのため、被告が自身について述べた言葉だったのか、それとも、三女を指していたのか、今となっては判別しづらいようにも思える。だが、もしや被告は自身の内側にある何らかの困難について気づいていることがあるのではないか。そう思わせる言葉だった。

事件の核心は見えないまま閉廷した。法廷の外で数人の記者が「なんか、すっきりしないんだよな」と首を傾げていたが、もっともだと思う。根本の問題が素通りされた裁判だったからだ。

事実をまっすぐに見れば、被告は裁かれるだけでなく保護と治療も必要な人だとわかる。そこから目を背けた裁判で記者たちが納得するはずはない。

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