激しい足の痛みに耐えながら解散公演を行ったエノケン

しかし、次の岩国の興行では靴も履けず、意識を失いかける状態で、やむなく中止に。この病気は「特発性脱疽だっそ」と診断され、入院治療しても激痛が治まらず、足の切断を勧められ、絶望して自殺を試みたことも自伝で生々しく綴られている。

病状は、右足のつま先の腐った部分を切断することでいったん収まり、義足を工夫して駆け出すまでになるが、その頃、最愛の息子を亡くし、さらに再発した足の病気で右足を切断。しかも、療養中に滞納した税金を払うため、「関係方面に迷惑をかけては」と考え、自宅も処分する。

日本中の人々を笑わせ、笠置を喜劇女優の道に導いた喜劇王は、大病に苦しみながらも責任を全うしようとする、律儀で真面目で義理人情の人だった。自伝の最後の項が「礼儀を守ろう」で締められているのも、そんな人柄を象徴している。

笠置の自伝への寄稿では、そんな自身と重ね合わせていたのではないかと想像される、こんな文章が綴られている。

「彼女は気の毒な人だという。しかし、私はそうは思わない。彼女は幸福な人だ。いつも人々の愛情の中にいつくしまれている。そして自分も思う存分に愛情を表現してきた。まことに彼女は青春に悔いがないだろう」
(笠置シヅ子『歌う自画像:私のブギウギ傳記』1948年、北斗出版社)
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