マルセロとネストルは現実を目の当たりにした。

「ソーリー。ニューチャンプ、グレート!」

2人は井上を褒め称え、謝るしかなかった。

ネストルが恥ずかしそうに振り返った。

「実際にグローブの中を見せてもらったら何も問題なかった。普通のバンデージだったよ。兄が何度も倒されて、チーム全体がびっくりしたし、そういった行動になってしまった。尚弥はモンスター。起こったことは本当なんだなと受け入れるしかなかったな」

リング上では9歳の息子、ジュニアが泣いている。顔を覆い、声を上げて涙を流していた。息子に海外のタイトルマッチで闘っている勇姿を見せる。オマールが夢を叶えた試合。ところが、親子の美しい物語ではなかった。初めて倒され、負けた試合になってしまった。オマールは大泣きするジュニアを横目で見ていた。

「試合前、負けることなんて誰も考えないよ。それが分かっていたら息子を連れてくることはなかった。もちろん、いつか負けるときが来る。だけどそれがこの試合とは思わなかった」

世界王座を計27度防衛し、12年にわたり、世界のトップに立ち続けてきた。35歳を過ぎたあたりから、オマールは心のどこかで「いつか適正階級で負けるときが来る」と覚悟していた。だが、まさか日本で、息子の前でリングを這うとは……。

「永遠に勝ち続けることはないんだよ。いずれ誰かが私に勝つというのは分かっていた。私が王座を失うとき、判定負けはないだろう。試合の駆け引き、技術の攻防では負けない。だって経験があるからね。だから負けるとしたら、こういった試合。打たれて潰されるような試合しかないと思っていた。それが起きたんだな」

井上はプロ8戦目、世界最短で2階級制覇チャンピオンになった。しかも、ライトフライから一気に2階級を上げ、飛び級による王座。ライトフライ級の上限48.97キロでは減量がきつく、試合前の数日間はウエイトを落とすだけで精いっぱいだった。リミットが3.19キロ上がり、52.16六キロになった。減量苦から解放され、水を得た魚のようにリング上で本来の力を発揮した。

“怪物”が世界を駆け巡った夜

「井上尚弥の時代」の幕開けを予感させる歴史的なKO奪取。リング上の勝利者インタビューで高らかに宣言した。

「どんな挑戦でも受けます」

オマール、セコンド、息子のジュニアはリング上で整列し、井上のインタビューをじっと聞いていた。見届けると、全員で頭を下げた。

不倒のオマールが倒されたことによって、井上が怪物であることが証明された。自らが4度ダウンするシーンが動画サイトにアップされ、世界を駆け巡った。

2014年12月30日、井上尚弥が「モンスター」になった日。

一夜明けると、「ナオヤ・イノウエ」は世界中のボクシング関係者に知れ渡っていた。

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