井上尚弥が“モンスター”としてその名を世界中に轟かせたきっかけは今から約9年前のオマール・ナルバエス戦だろう。2ラウンドで4度のダウンを奪うという離れ業を見せた“怪物”を対戦相手はどのように感じたのか。
ここでは『怪物に出会った日 井上尚弥と闘うということ』(講談社)より一部抜粋。ナルバエスの言葉と共に井上の“異質なパンチ力”に迫る。(全2回の前編/続きを読む)
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「何か硬いモノで殴られたような感覚」
オマールは日本に到着しても、自身のコンディションを上げることに全力を注いだ。午前中と午後の2回、横浜市内の大橋ジムで練習に励む。クリスマスイブに行われた公開練習ではシャドーボクシングだけで手の内を隠した。報道陣から「井上が大差で判定勝ちしたいと発言していますが」と問われると「それはとても難しいことだろう」と笑みで返した。
2014年12月30日、年の瀬の東京体育館に観衆8000人が集まった。
トリプル世界戦が組まれる豪華な興行の第一試合。ネストルがリングに上がった。フライ級より少し重い51.7キロ契約のノンタイトル8回戦。スピードのある拓真の左を浴び、主導権を握られた。6回には右を効かされた。だが、倒れるわけにはいかない。上下に打ち分けた力強いパンチが飛んでくる。判定は0-3、拓真のフルマークで、ネストルの完敗だった。
「少し体重の差があったかな。あとは拓真のスピード、ボクシング技術も素晴らしかった」
試合を終え、気持ちを切り替え、兄のサポートに取りかかった。
村田諒太がデビューから6連勝を飾り、ホルヘ・リナレスが世界3階級制覇を成し遂げ、セミファイナルでは八重樫東がWBC世界ライトフライ級王座決定戦で散った。
そして、迎えるメインイベント。
オマールは息子のジュニアとともに入場ゲートに上がった。二人にスポットライトが当たる。ジュニアがベルトを掲げて花道を先導し、ネストル、長兄のマルセロらセコンド陣が続き、揃ってリングに上がった。ナルバエス家の晴れ舞台だった。
試合開始を告げるゴングが鳴った。
井上のジャブ、ジャブ、軽い左フックが飛んでくる。左構えのオマールはガードを上げ、右腕で弾いた。一見、何事もない、様子見の攻防だ。
だが、オマールの心の中で衝撃が走った。
「1発目のジャブをもらったとき、他のボクサーと違うなと感じた。『グローブをはめていないのでは』という硬さというのか、何か硬いモノで殴られたような感覚というのか。過去に闘った誰とも異なるパンチの質だったんだ」