なぜか戦前より丸刈りが増えている不思議
こうしたなかでも、野球部員は丸刈りであり続けたのはなぜだろうか。1934年(画像2)と1954年(画像3)の明大野球部員の髪型がわかる写真を見てみよう。
髪型に着目して2枚を比較すると、1934年の部員は全体として短髪ではあるが、ほとんどの部員が丸刈りではなかった。写真が古くて鮮明ではないため、確証がもてないところもあるが、写っている部員22名の中で明らかに丸刈りの部員は2名(前列右端、後列右から四人目)しかいない。
一方、1954年の写真では、写っている部員15名全員が丸刈りになっている。
「坊主にならないものは野球部に入れません」
当時、明大野球部の監督を務めていた島岡吉郎は、野球部員の丸刈りについて次のように語っている。
成績が悪いときなど一部OBから敗残兵みたいだからやめさせろという投書がたくさん来る。〔中略〕明大新聞の人から選手に坊主頭を強制するなんてとんでもない。軍国主義の現れだよなんていわれましたよ。〔中略〕
選手の親御さん方からは、きちんとした生活をしていてよろしい、〔中略〕と感謝されている。坊主頭だったら悪いこともできないし、変な所へも出入りできんでしょう。〔中略〕
坊主頭でカッコ悪いと思う選手もいるでしょう。だが私にいわせれば髪をのばそうなんてよけいなことを考えることすら間違いだと思うんです。(6)
島岡は、丸刈りを倹約、時間短縮、「学生らしい」と評価する一方で、1970年代には「敗残兵みたい」「軍国主義的」といった批判的な意見があったことがわかる。丸刈りについては賛否両論があったが、前述したように、島岡は明大野球部内で絶大な権力をもっていたため、丸刈りが入部の条件となっていたのである。