現在の池袋駅周辺は「袋状の池」には無縁で、従って水害を被るエリアではなかった。水害を被る可能性を持っていたのは旧池袋村周辺であった。

現在の池袋駅周辺が「池袋」と名付けられるきっかけになったのは、1902(明治35)年、この地に鉄道の信号所が開設されることになり、その名を近隣の有力な「池袋村」からとって「池袋信号所」と名付けたことによる。そして翌1903(明治36)年、信号所が駅に昇格して「池袋駅」となり、今日の繁栄へとつながっていく。

水害地名の「池袋」という地名を負った背景にはこんな歴史が隠されていた。

典型的な水害地名の「落合」

もし地名に文法みたいなものがあるとすれば、この「落合」ほどその地名の文法にかなったものはない。「落合」という地名はまず間違いなく、川と川が合流する地点を指している。つまり川と川が「落ち合う」地点を意味している。現在川が存在していなくても、地形を見ればそのような形になっていることが多い。それほどに、「落合」という地名は文法に忠実だと言える。

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「落合」という地名は東日本に多いが、北は北海道から南は九州まで至る所に分布する。日本列島の特色として、いかに川と川が合流して海に向かって流れているかがわかるというもの。関東に限定しても、茨城県筑西市、栃木県那須烏山市、同下都賀郡壬生町、埼玉県飯能市、東京都多摩市、神奈川県秦野市に「落合」という地名が存在する。

江戸時代から存在していた新宿区の落合

この「落合」という地名がつけられた場所は当然のことながら、水害に見舞われる可能性が極めて高い。2つの河川の水が落ち合うわけだから、水量は倍になって溢れることになる。大きな河川に小規模の支流が流れ込んで水が溢れた例も多い。2019(令和元)年10月の台風19号で大きな被害を出した宮城県丸森町などはその典型である。

実は東京のど真ん中にも「落合」がある。西武新宿線で高田馬場駅を出ると次は下落合駅である。山手線でいうと高田馬場駅と目白駅を結ぶ線から西一帯が「落合」というエリアである。町名でいうと新宿区「上落合」「中落合」「下落合」「西落合」ということになる。

ここの「落合」は江戸時代から存在していた地名で、神田川と妙正寺川が合流した地点につけられた地名である。神田川は徳川家康が江戸に入府した際、水不足に悩む江戸のために井之頭池から水を引いたものだが、この地点で妙正寺川と合流して神田方面へ流れていったのである。

高田馬場駅から神田川方面に向かう小路は「さかえ通り」と呼ばれる飲み屋街だ。この小路は昔からほとんど変わっていない。

その飲み屋街を通り抜けると、道は神田川を越えることになる。その橋を「田島橋」と呼んでいる。現在はコンクリートの橋だが、この橋はすでに江戸時代に架けられていたことが確認されている。現在その橋のたもとは東京富士大学という私立大学のキャンパスになっている。