非自民推薦のうえ、闘いの相手は前区長の長男、しかも地元に顔の売れた都議。熾烈しれつな保守分裂、いや自民分裂の末の当選は、地元一族による「多選」を阻止しようとの地域の意思と、木村弥生氏という「新しい女性政治家」イメージの成功であったように思う。

生育環境や経歴から導かれた「正解」と見えたはずの結婚からの離婚、子どもの受験を機とする看護学部への社会人入学、そして大学病院の看護師を務めて父の秘書となり、政治家へ転身したという努力家の木村氏。ドラマティックな当選は、彼女ならではの地に足ついた現代女性の人生に対する、有権者の共感や信頼の度合いを映していたように見えたのだ。

日本の“女業界”へのグッドニュースだった

女性のキャリアには、結婚や妊娠出産などのライフイベントによる減速や小休止、離脱が少なくない。というよりも、日本ではそちらの方がマジョリティである時代が長く続いた。今年57歳という木村氏の世代、いわゆるバブル世代では寿退社や専業主婦への憧れが強い風潮があったために、女性の社会的労働力からの離脱は特に顕著だ。

その中で、出産子育てをある程度終えてプロフェッショナルの世界へ戻る、いわゆるリカレントやリスキリングの好例、成功例である木村氏のケースは、日本の“女業界”(というものがあるとするなら)にとってグッドニュースだったのである。

ところが選挙とは、表側ではそんなイメージ戦や政策論争が繰り広げられるものの、裏側はギャンブルにも似た金と数の絶え間ない心理戦である。木村弥生氏の選挙戦は、東京15区江東区を地盤とする柿沢未途・衆院議員の「公言こそしないが」積極的な支持によって進められていたのは、江東区長選を見守る誰もが知るところであった。

その自民分裂劇とはいわば、東京の片隅江東区を舞台とした、自民の正統かつ伝統、土着的地盤を維持継承する前職親子陣営と、自民の亜流で新しい風を吹き込まんとクーデターを起こした柿沢・木村陣営との戦いだったのだ。

江東区長選を前にした推薦獲得の裏で、柿沢氏へ山﨑氏支持を迫る激しいプレッシャーもあったと報道されている。政治家としては野党をあちこちさすらって自民党へ行き着いたイメージの強い柿沢氏ではあるが、実のところはあの柿沢弘治元外務大臣の息子。柿沢氏も木村氏も、ともに自治体首長どころか自民党の衆院議員であった父を持つ、いわばドがつく正統派の「自民政治家の子」なのである。2世世代が旧弊な主流派の政治手法、世代を跨ぐ地盤継承と多選に楯突いた形となった選挙が、地元に生んだ断裂と禍根は小さくなかった。

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