戦国時代の常識は「全て自費で何とかしろ」ということ

なぜなら将士の兵糧は、配給制ではなかったからである。
 戦国の兵糧は、自弁(手弁当)と現地調達がメインであった。自弁というのは、自費である。

当然のことだろう。例えば、この戦争に従軍する徳川家康は、三河・遠江・駿河・信濃・甲斐を領していた。ここに秀吉が「全軍の兵糧は予が用意して進ぜよう」と全ての物資を渡してくれるわけがない。むしろ米一粒すら渡さないのが普通だろう。江戸時代の参勤交代がそうであったように、「全て自費でなんとかしろ」が普通だったのである。

秀吉が送らせた兵糧は、あくまでも「もしもの時の予備」であったと思われる。そんなものなくても普通はなんとかなっていた。戦国の兵糧は、現地調達に依存していたらである。

──と言っても略奪ではない。メインは現地の商人・寺社・百姓からの買い取りだ。
​ 戦国の「兵粮金」つまり軍資金は、このためにあった。

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遠征軍の兵糧事情は軍資金しだいだった

意外に思う人も多いと思うが、戦国時代までの中世は、平時と戦時の区別なく、通常の商取引が可能な環境にあった。

実証となるのは、応仁の乱である。10年以上もの間、東西の大軍が在京していたが、彼らが略奪で食いつないでいた形跡はない。本国から頻繁に兵糧を輸送してもいない。もしそんなことをしていたら、輸送路を狙う作戦が展開されたはずだが、そのようなことも起こっていない。

信長、謙信、信玄──彼ら名だたる戦国の軍隊はみな行く先々で兵糧を買い集めて戦争していた。金さえあれば、食料など現地で仕入れられたのだ(もちろん売ってくれない地域、孤立状態にある城には輸送した)。

理屈としては、我々が遠方のコンサート会場に行くのに、保存食を用意しなくていいのと同じである。戦国時代になっても日本の経済は崩壊するどころか発展していたことを考えれば、納得してもらえるだろう。

遠征する時は、第一に金を持っていく。ついで非常食としてカロリーメイト代わりの腰兵糧も用意する。そして可能なら、上位権力が作戦を柔軟に展開させるため、予備の資金や兵糧を用意する。