現在のアメリカでは、広島の悲惨な映像を公開すること、あるいは首脳が見ることは一種のタブーになっています。それは、そうした行動自体が「アメリカにとっての謝罪行為」であり、国家への反逆だという言い方で批判される危険があるからです。バイデンはそれゆえに、資料館の一部しか見なかったし、この『オッペンハイマー』も同じ理由から惨状の描写を控えたと考えられます。この点に関しては、被爆国である日本として、改めて真剣な問題提起をするべきです。

3番目は、映画の構成です。ノーラン監督は、時間軸に沿って「原爆が開発され、使用され」た後に「オッペンハイマーが赤狩りで追及を受け」、その後に「その黒幕も追及を受ける」という順序で映画を構成しませんでした。先程申し上げたように、この3つの時間軸をバラバラにし、冒頭から「赤狩り疑惑」の要素を観客に突き付けます。要するに「オッペンハイマーはソ連のスパイで、だから水爆開発に反対するなど、反米的だったのか?」という疑問を映画の冒頭で提示しているのです。

これは、あくまで私の私見ですが、保守派もリベラルも含めた広範な観客を、一種のサスペンスに引き込むのが監督の作戦だったと思われます。最終的には「オッペンハイマーは広島・長崎で起きたことに衝撃を受けて、核兵器への疑問を強く持つようになった」という展開を観客に理解させて、「だから水爆開発に反対したのはアメリカへの裏切りではなかった」という「結論」に着地させるようにしています。

ノーランが仕掛けるマジック

これは非常に高度な脚本、演出のチャレンジで、これによって「核兵器性悪説」を幅広い観客に「漠然と納得させる」というマジックを実現していると評価できます。保守系の映画評サイト「見る価値あり? それともポリコレ?(“Worth it or Woke?”)」が公開後、数日を経てから、「ポリコレでない」と断定して100点満点の79点をつけていますが、ノーラン監督のマジックに見事に騙されている(?)とも言えます。

ですが、ノーラン監督が巧妙に反核思想を仕込んだというのは、あくまで私個人の感想です。この映画が本当に反核メッセージを込めた作品なのか、この点こそ、被爆国日本、そして被爆者とその周囲の方々の厳しい評価に晒されるべきものと思います。

しかしながら現時点では、この『オッペンハイマー』の日本公開日は決まっていません。日本語字幕の付いた予告編も公になっていないのです。配給会社が政治的論争に巻き込まれるのを嫌っているとか、少なくとも原爆忌や終戦記念日をスルーした後で公開日を決めるのでは、などという憶測が流れています。もしかしたら、日本の観客が「原爆開発映画」を嫌って劇場に行かず、配給しても赤字ということをおそれているのかもしれません。

ですが、ここまで述べてきたように、この映画は明らかに被爆国日本の人々によって評価されるべき作品です。今すぐ公開して、しっかりと必要な論争を行うことが必要です。ノーラン監督も、おそらくはそれを望んでいると思いますし、日本で賛否両論を浴びることで初めて、本当の意味で完結する作品と言っても良いかもしれません。とにかく、現時点で公開が決まっていないというのは異例です。即時公開を強く望みます。

当記事は「ニューズウィーク日本版」(CCCメディアハウス)からの転載記事です。元記事はこちら
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