「エルナ・ペトリ」はナチスだけの話ではない

所属する集団内で、自分の地位を向上させたり、周りの「みんな」に自分の有能さを認めてもらうために、内部で共有される価値観や行動原理に沿った行動をとる。

このような「集団内の同調圧力への積極的な対応」の事例をいくつか見てきましたが、それは時として、論理的に説明がつかない「矛盾」や「自己否定」へと実行者を導くことがあります。

例えば、前出のエルナ・ペトリのような女性が「男たちに自分の有能さを証明してやりたい」と考えた時、ナチスの迫害対象が「ユダヤ人」ではなく「女性」であったならどうでしょう。女性であるペトリは、「自分の有能さや存在価値を男たちに認めさせるため」に、男たちによる女性差別や女性迫害に自らの意思で加担することになります。

これは決して、言葉の遊びや絵空ごとではありません。

二〇二〇年九月二十五日に自由民主党の党本部で行われた党の内閣第一部会などの合同会議において、同党の杉田水脈衆議院議員が、女性への暴力や性犯罪に関して「女性はいくらでもうそをつけますから」と発言したとして、大きな批判が湧き起こりました。

杉田水脈議員「女性はいくらでもうそをつけますから」

同年九月二十五日一三時三四分に公開された共同通信記事(ネット版)によれば、「杉田氏は、会議で来年度予算の概算要求を受け、女性への性暴力に対する相談事業について、民間委託ではなく、警察が積極的に関与するよう主張」し、「〔性犯罪〕被害の虚偽申告があるように受け取れる発言をした」とされています。

写真=時事通信フォト
自民党の杉田水脈議員(中央)=2018年10月24日、国会内

杉田水脈議員は、自民党に入党する前には、日本維新の会や次世代の党などに在籍していましたが、次世代の党時代の二〇一四年十月三十一日には、衆議院本会議で「伝統や慣習を破壊するナンセンスな男女平等」や「男女平等は、絶対に実現し得ない、反道徳の妄想」などと発言し、物議を醸しました。

その半月前の十月十五日には、衆議院内閣委員会で「私は、女性差別というのは〔日本に〕存在していないと思うんです」と述べ、やはり批判の的となっていました。