左翼の父親に捨てられた復讐心から15歳で政治組織に
彼女の父は左翼共産主義者で無神論者、母は右派寄りの資本主義者であった。
「15歳の時に、家族を捨てた父への復讐心から、父とは真逆の思想のイタリア社会運動(MRI)の青年組織である青年戦線の装甲扉をノックした」と、自伝となる著書『Io sono Giorgia(私はジョルジャです)』の中で語り、「何でもいいから何かに属していたい、政治活動が唯一の心の拠り所であった」と、自分の育った家庭環境と波乱万丈な生い立ち、思春期に経験したエピソードを赤裸々に綴っている。
その後、政治活動にのめり込んでいったジョルジャ少女だが、強く心が動かされた動機というものは別にあった。
それは、2022年10月25日、首相に就任して初めての議会でした所信表明演説の中で明らかになった。「パオロ・ボルセリーノ裁判官が殺害された『ダメリオ大虐殺』の翌日に政治家になろうと決意した」と語った。
裁判官が殺され「憤りは政治に変換されるべき」と開眼
ダメリオ大虐殺とは、1992年7月19日に起こった事件だ。当時のマフィア組織犯罪集団コーザ・ノストラのボス、トト・リーナが「国家とマフィアの交渉」を水面下で行っていたが、ボルセリーノ裁判官がこの交渉を妨害したことへの報復で、パレルモの検察庁に送られた「マフィアとの契約書」と呼ばれる書類について明らかにしようとしていたため、殺害された。「国家に裏切られ虐殺された」とも後に言われ、国は強く批判された。
当時、弱冠15歳のジョルジャ少女は、この「ダメリオ大虐殺」でのパオロ・ボルセリーノ判事とその護衛の殺害事件に衝撃を受け、「傍観していてはだめだ。怒りと憤りは政治に変換されるべきだという考えに駆り立てられ、私は政治家になろうと思った」と、所信表明演説で語った。
メローニ首相の強い信念を象徴するマニフェストの一つに「マフィアの撲滅」がある。
2023年1月16日、パレルモで「マッテオ・メッシーナ・デナーロ(コーザ・ノストラのボス)を逮捕」のニュース速報が世界中を駆け巡ったとき、その日のうちに、メローニ首相は、シチリア行きの航空券を早速手配し、パレルモに降り立っていたのだ。
1992年「ダメリオ大虐殺」の犠牲者の記念碑を訪れ、静かに黙とうを捧げた姿は報道され、その時の素早い判断力と実行力は高く評価された。