悪態をつき、杖で突っつき、最後は足蹴り

勝頼の首を見た信長は「さまざまに罵りて、杖にて二つつきて後、足にて蹴」ったというのです。つまり、信長は勝頼の首に向かい、悪態をつき、杖で突っつき、最後は足蹴あしげにしたというのです。

かつて、信長は勝頼の父・信玄の徳川領への侵攻(1572年10月)を聞いて「信玄の行動は、侍の義理を知らぬもの。武田と手を結ぶことは二度とない」(11月20日、上杉謙信宛書状)と激怒しました。そうした経緯を考えれば、武田二代(信玄・勝頼)に対する鬱憤を晴らすため、激しい行動をしてもおかしくないと思われます。今回の大河ドラマでは信長は攻撃的な言動が目立ちます。そうした信長像とも一致します。

ただ私は、信長はそうはしなかったと思っています。『常山紀談』が信憑性に欠けることもありますし、浅井長政や朝倉義景らとは一味違う感情を、信長は勝頼に抱いていたのではないでしょうか。それは、『三河物語』などの信長の言葉から推測すると、簡潔に言えば「敵ながら天晴れ」という想いだったでしょう。

関連記事
NHK大河ドラマは史実とはあまりに違う…最新研究でわかった徳川家康と正妻・築山殿の本当の夫婦関係
徳川家康が生き延びたのは奇跡に等しい…「三方ヶ原の戦い」で武田信玄が描いた完璧すぎる家康殲滅プラン
NHK大河ドラマは史実とはあまりに違う…北条義時の盟友・三浦義村が本当に考えていたこと
だから関ケ原の戦いで完勝できた…家康が言動から戦術まで徹底的にマネした「戦国最強武将」の名前
だから織田と豊臣はあっさり潰れた…徳川家康が「戦国最後の天下人」になれた本当の理由