とりあえず10分登ってみてから考える

東京の愛宕神社(港区)に「出世の石段」というのがあります。この石段を駆け上ると、出世できるそうです。86段の石段なのですが、傾斜が40度もあり、眼前にそそり立つような威圧感があります。

この「出世の石段」を上り切るにはどうしたらいいでしょうか?

1段ずつ上っていくしかありません。しかし多くの人は、一番上の86段目を見上げて、「ああ、キツそう。一気に上るのは、自分には無理」と思ってしまう。

「悩みの解消」も同じです。一番下から、いきなりゴールを見上げるので、難易度マックスとなります。「自分には無理」と思うのも、不思議ではありません。

では、とりあえず10段だけ上ってみます。10段だけなら、さほどたいへんではありません。また10段上って、振り返ってみると、風景が変わります。

さらに10段、そしてまた10段上る。40段目まで上ると、見上げる風景も変わってきます。

「この調子なら、上まで行けそうだ」

後ろを振り返れば「もう、こんなに高いところまで来たのか。半分は来たかな」とプチ達成感も出て、モチベーションは上がります。

そうして上っているうちに、86段を上り切るのです。

登山をする人はわかると思いますが、たった10分登っただけでも、風景がガラッと変わるのです。これが、「視座を高める」ということです。

ほとんどの人は、1段も上らない状態で「上る」「上らない」を決めます。

とりあえず、10段目まで上ってから、「上る」「上らない」を決めても手遅れにはなりません。

むしろ「より正しい」判断ができるというものです。

1段も上らずに、遠いゴールを見上げて「あーどうしよう、どうしよう」と悩んでいるのは時間の無駄。とりあえず1段、とりあえず10段上ってみましょう。

つまりは、上りながら考える。実際に、行動、アクションしながら悩めばいい。

見える風景が変われば、いろいろなアイデアも浮かびます。「どうみても無理」「自分には無理」と思えていたことが、視座を少しだけ高く持つことで、「自分にもできそう」に変わるのです。

「0/100思考」は人を不幸にする

「ニュートラルに考えられない」とは、言い換えるならば「考え方が極端」ということです。

たとえば、その代表例が「0/100(ゼロヒャク)思考」。

別名「二分法的思考(二分思考)」とも呼ばれます。「0か100か」「YESかNOか」「やるかやらないか」「白か黒か」「善か悪か」という二択のみの思考です。

行動した結果も「成功か失敗か」「0点か100点か」。

中間がない、極端な考え方です。

たとえば、メンタル疾患の患者さんに「症状が改善しても、薬は飲み続けた方がいいですね」と説明すると、「薬は、一生飲み続けないといけないのですか?」と質問されます。

「薬をやめる」か「一生飲み続けるか」。「極端」対「極端」の二者択一の思考です。

実際は、「毎日は飲まないけども、調子の悪い時だけ飲む」「薬をやめたあとに再発して、また薬を飲み始める」など様々なパターンが考えられます。

「メンタルの症状で調子が悪くてつらい」という今の悩みよりも、「10年後に薬を飲んでいるかどうか」を心配する。どうなるかまったくわからない10年先のことを考えるなら、不安や心配は無限に増えてしまいます。

「二分思考」の「二者択一」で物事を考えてしまうと、選択肢が「極端な2つ」しかないわけですから、結果として「コントロールできない感」が強まり、ストレスを多く抱えやすい。

メンタル疾患になりやすい人の特徴でもあります。