家父長制は「認知症に向けたトレーニング」
あらためて調べてみると「家父長制」とは社会学の言葉で、こう定義されていた。
(『社会学辞典』有斐閣 昭和33年 以下同)
この「家父長権」とは「家父長制家族において家長が家族員に対して有する支配的権利」とのこと。家父長権に基づく家父長制という同語反復の定義であり、要するに男子が支配・統率する家族のことである。『近代家族の成立と終焉 新版』(上野千鶴子著 岩波現代文庫 2020年)によると、明治20年代に「主人」と「主婦」という対語が登場したという。これが父たちの世代にも通じる家父長制であり、男子は「主人」として、女子は「主婦」として生きるようになったらしい。確かに「主人」というからには支配する立場のようだが、実際に何をするのかというと――、
(『現代青年少年百科辭典』青少年教育會編 日本博文舘 大正14年 以下同)
主人の主人たるゆえんは、家の細かな事を気にとめないこと。まるで認知症に向けたトレーニングなのである。なんでも「家の細小なる事業を掌どる」のは主婦の役割であり、主人は「大粗」でなければならない。家の者に対しても「細かなる過失を餘り甚だしく責めざる」、つまり細々と責めたりしてはいけない。そして「一家のものを好く愛して嬉しく暮し」、さらには「萬事喜びを以て用事を爲さしむる方要用なりとす」とのこと。
主人は「ぼんくら」「阿呆」でいてこそ主人
つまり主人はいつもハッピーで能天気でなければいけない。能天気ゆえに「自分の思ふ通りに行はんとするときは、反て家の不祥(不祥事のこと)を來す事あれば、能く夫婦親子相談を遂げてなすべし」と戒めている。下手に自分の思い通りにしようとすると失敗すると警告までしているのだ。
つまり「主人」とは実質はぼんくら、あるいは阿呆。まさに父のようなのである。父がよく口にする「なんにもしてない」というフレーズも実はその伝統に則っていたのだ。