スポーツ推薦で進学するアスリートの「落とし穴」

以前、少年犯罪を主に扱う弁護士から「なぜスポーツ推薦で進学した者がいとも簡単に身を持ち崩し、違法行為に及ぶまで落ちぶれるのか」と相談を受けたことがある。

彼女によると、非行に走る高校生にはスポーツ推薦で進学した者が多く含まれるという。けがで戦線を離脱し、復帰後も以前のようなプレーができないもどかしさや、レギュラー争いに敗れての失意――。彼らはスポーツを通じて心身を鍛えているはずなのに、それらに耐え切れずに退部し、場合によっては退学にまで至る。この落差がどうしても理解できないのだという。

私はスポーツ推薦での進学を経験していないが、元アスリートとして想像すれば十分にありうる話だと思われる。

スポーツ推薦を受けられる生徒は当然のことながら競技力が高く、試合に勝ち続けてきた経験を持つ。勝てば褒められ、認められる。心身共に不安定な成長期にその養分となる承認欲求を勝利で満たし、それを積み上げることによって彼らは自我を確立してきた。

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「条件付きの承認」でしか自我を確立できない

だが、勝利すればという「条件付きの承認」によって築かれた自我は脆い。条件が満たされなければすぐに崩れてしまうからである。

本来、成長期にある子供は、自らの存在を条件なしでそのまま肯定される経験を積み重ねながら、時間をかけて自我を築くものだ。家では家事を手伝い、学校では勉学に励み、習い事や部活動では友達同士で切磋琢磨せっさたくましながら、自我の輪郭を描く。手助けして他者の力になれたという実感を手繰り寄せ、時に他者との比較において優劣を確認しながら、子供は成長していく。

この成長プロセスには失敗も付きまとう。いや、むしろ失敗だらけである。

善かれと思って取った言動が望む結果につながらなかった、努力しても報われなかったなど、小さな挫折を繰り返す。大人の励ましを受けながら紆余うよ曲折を経て大人へと続く階段を上ってゆく。だからこの時期の子供に必要なのは、失敗や挫折を含んだ「無条件の承認」である。山あり谷ありの成長期にある子供は、「安心して失敗できる環境」が必要となるのである。