肉は一面にかじり取られ、さながらゆで蛸のごとく…

さらに、

「頭の骨はげて顔もわからず、大腿だいたい骨から腰の辺り、臀部、陰部に至るまで肉は一面にかじり取られ、四肢の関節はいずれも離脱せるなど、さながら茹蛸ゆでだこのごとく、惨絶の光景に人々は覚えず眼を覆ったという」(『小樽新聞』明治37年7月26日)

あまりにも残酷な少女の最期であった。

「大惨劇を知る人は絶えてなかった」のに、なぜ細部まで詳述されているのかという疑問は残るが、ともあれ状況から判断して、この時の加害熊の目的がイチを捕食することにあったのは明らかであった。

人間が「喰いもの」であると教えていた

筆者がこの事件を取り上げたのは、襲ったのが「2、3頭の大熊」であったという一節に注目したからである。

中山茂大『神々の復讐』(講談社)

「大熊」とあるので、おそらく母熊と、2歳程度の子熊2頭であっただろう。

ヒグマは生後4カ月で母熊と同じ食物を採食するようになり、一定期間、母熊と行動をともにすることで、母熊の捕食したものをともに食べ、採食行動を覚えていくという(『羆の実像』)。

つまり、母熊は、イチの肉体を通して、人間が「喰いもの」であることを子熊に教えたのではないか。

イチがいとも簡単に捕らえられ、藪に引きずり込まれる一部始終を、2頭の子熊は見ていただろう。

そして人間が、鹿や馬などよりも、はるかに簡単に捕らえられる弱い生物だということを学び、同時に人肉の味わいも覚えたに違いない。