熊は悠然と太股にかじりついていた
しかし事件は、これでは終わらなかった。
同年秋、中渚滑と紋別との里道で、中山儀市(35)、片川信吉(57)、丸山茂平(53)の3名が薪切りをしていると、午前10時頃に、ヒグマが中山の背後より一声高く飛びかかろうとしたので、中山は夢中で斧をふりあげ脳天目がけて一撃を加えたが致命傷には到らず、狂いに狂ったヒグマは中山の左腕に噛みつき、振り廻したので、中山は悲鳴を上げて絶息した(『北海タイムス』大正15年9月15日より要約)。
片川らが人を頼んで現場に戻ると、「熊は悠然として中山の太股にかぢりつき居る」のを認め、直ちに銃殺した。加害熊はオスで、食害が目的であったことは明らかである。
実は森下キヨ殺害事件以降、まったく同じ手口の「人妻食害事件」が、北見地方各地で2件も記録されているのである。
「畑から熊にさらわる 雄武の人妻 北見国雄武村字中幌内原野農市兵衛妻伝法ソト(53)は、29日夕方自宅を距たる50間の畑にて作業中、突然熊に襲われそのまま山中に持ち運ばれたので部落民総出となって捜査の結果、無惨の死体となって発見された」(『小樽新聞』昭和3年11月2日)
興味深いことに、昭和7年にも、同様の事件が斜里村で発生している。
「燕麦刈りの女 熊に喰い殺さる きのう斜里村鶴ノ巣で 斜里村鶴ノ巣5線9号永次郎妻福士ミヨ(40)が4日午後4時50分ごろ、自宅前で燕麦刈取り中、熊に襲われ、同所から30間をさる山中で、臓腑を露出し喰い殺されているのを午後5時半に至り捜索中の長男永治が発見した。部落では目下熊狩りの準備中である」(『北海タイムス』昭和7年9月6日)