男女雇用機会均等法と労働者派遣法が同じ年に制定

皮肉なことに、1985年は男女雇用機会均等法と労働者派遣法が、同時に制定された年でもあった。

派遣切りなどの不安定雇用、格差拡大などで問題となっている派遣労働の始まりが、ここ1985年に遡るわけだ。

そもそも、自社が雇用する労働者を他社に派遣して就業させるという、「業務処理請負業」が登場したのは1966年、アメリカの人材派遣会社が日本に進出したことで開始された。このシステムが一定の役割を果たすことを受け、労働者派遣事業の制度化が必要だということで、労働省(当時)が立法化に着手、1985年に労働者派遣法が成立したという流れがある。

これによりビジネスとして派遣事業を行うことは可能になったが、当時は専門性の高い13業務に限定、建設業務、警備業務などへの派遣は禁止、製造業へも政令により禁止され、労働者保護の色彩の強いものとしてスタートした。これにより、通訳や秘書など専門性を活かした職業に就く人が1日数時間、週に数日だけなど、融通をきかせて働くことが可能になった。

当初は専門職だけに限られていたが、その後、労働者派遣法は何度も改正を重ね、対象業務はどんどん拡大し、2003年の改正では、製造業への派遣が解禁となった。

2008年暮れに日比谷公園に作られた、「年越し派遣村」を覚えているだろうか。リーマンショックの影響で企業が一斉に派遣切りに走り、寮生活を送っていた製造業の非正規社員は、職と同時に住居も失うこととなり、派遣村に押し寄せた。ここで初めて可視化されたのが、非正規雇用などの男性の貧困だった。しかしそれ以前に、女性はずっと、低賃金のパートや派遣労働でいいとされてきたのだ。

写真=時事通信フォト
炊き出しの昼食に並ぶ「年越し派遣村」の人たち。右奥に宿泊用テントが見える。

加えて、男女雇用機会均等法の制定により、女性の間にも明確な分断が持ち込まれることとなった。男女雇用機会均等法が成立したことで、女性にも「総合職」というポストが作られた。つまり、一部のエリート女性たちが男性並みに働くことが可能となり、高収入を得ることができるようになったのだ。とはいえ、この恩恵を享受できたのは、ほんの一握りの女性でしかない。