こうして1980年代に、立て続けに専業主婦及び家計補助的なパート労働をする妻を、優遇する制度が作られていった。それは、この国がどのような社会を目指すのかによって形作られたものだ。

80年代、当時の自民党政権は日本社会のあるべき形を目指すべく、明確な方向に舵を切った。

藤原教授によれば、あるべき形とは「男性稼ぎ主モデル」という家族形態を指す。それは男性(夫)が稼いで妻子を養い、女性(妻)は夫に扶養されながら家事・育児・介護を行うというものだ。この「男性稼ぎ主モデル」が強化されたのが、まさに80年代だったという。

「1979年、当時の政権与党である自由民主党が発表した『日本型福祉社会』(自由民主党研修叢書)において、日本がめざすべき福祉社会は、安定した家庭と企業による福祉を前提として、それを市場で購入するリスク対応型民間保険が補完し、国家は最終的な生活安全保障の場面にのみ登場するというものであった」(前掲論考)

未婚や離婚のシングル女性は存在が想定されていない

国が福祉にいかにお金を出さなくて済むか、それが「日本型福祉社会」だった(今や、安定した家族と企業両方が、破綻していると言わざるを得ないが)。

ゆえに女性は専業主婦か、働いても家計補助的な低賃金のパート労働でいいとされ、夫に扶養されることを前提に、家事、育児、介護を無償で担う「日本型福祉社会」の支え手とされた。その代償としての、専業主婦優遇制度だったのだ。専業主婦がいれば、国は福祉に使うお金を最低限にできると。

女性の労働形態はパートなどの非正規雇用でよく、対価は低収入でいいとされたのだ。ここに現在の女性の貧困に繫がる要因が、くっきりと見える。女性の貧困は、ここで運命付けられたというわけだ。

ちなみに、この「日本型福祉社会」では、未婚や離婚によるシングル女性の存在は一切、想定されていない。女性が稼ぎ頭(大黒柱)になる家族など、自民党政権の眼中には存在していないのだ。

80年代は世界的に見て、発展途上とされる国でも、女性が労働力として社会進出を果たしていった時代だという。そんな中、日本では女性を家庭に繫ぎ止め、ケア労働に努めれば老後の安定を保障するという政策を打ち出した。それが、「日本型福祉社会」であると。国が福祉に登場するのは、最後の最後でいいのだと。

国連の手前上、男女雇用機会均等法を制定しておきながら、労働力としての女性の社会進出など、一顧だにしていないというわけだ。