岸信介・安倍晋太郎&晋三は統一教会の広告塔なのか
90年代、教団の主催する集会やイベントには、多くの政治家が顔を出して、挨拶や演説をしていました。なかには、教組や組織の幹部らと堅い握手をかわす者もいました。20代だった筆者は、「政治家は次の選挙に向けての支持獲得のため、宗教団体を訪れるのだろう」と思っていました。
その頃、集会やイベントなどでしばしば、安倍晋三氏の父親である安倍晋太郎氏の名前を聞きました。「統一教会の信者が、彼、および彼に近い議員の下に秘書として、多く入り込んでいる」。そんな話を末端の信者たちは何度も聞かされました。当時の教団内の話では、晋三氏の祖父である岸信介元首相とのつながりが深いとのことで、筆者も当時、「安倍一族はそんなに統一教会とつながりが深い人物なのか」とその関係性を不思議に感じていました。
統一教会は信者らは名前を変えたさまざまな団体をつくっていますが、そのひとつに「勝共連合」があります。文字通り、共産主義に対抗するための政治団体ですが、この組織を通じて、安倍氏を含めて多くの政治家とつながりをもっているということでした。
信者時代に聞いて印象深かったことのひとつに、1987年の中曽根康弘氏の首相退陣の際の教団上層部からの発言があります。中曽根氏が後継として竹下登氏を指名したことについて、こう言いました。
「中曽根氏は神の摂理に失敗した。統一教会との結びつきの強い晋太郎を総理大臣に指名すべきだった。久保木修己(統一教会初代会長)を政治に参加させる道が絶たれた」
その後、父、晋太郎氏が67歳で亡くなった時には、教組や幹部らは非常に残念がっていたという話も伝え聞いています。
山上容疑者の母親も、教団に多額の献金をして20年前(2002年)に破産したということですから、1990年代の信者とすれば、おそらく筆者と同じ話を聞いたと思われます。そして、統一教会が政治の世界を動かして、文鮮明氏を中心とした神の国を実現しようとしている。そうした熱い思いを抱いたことでしょう。
その後、その子供である安部晋三氏は総理大臣を2度も経験しました。昨日(7月11日)の記者会見でも、「安倍氏が統一教会の友好団体のイベントにメッセージを寄せていた」ことを教団側は認めています。権力の座についた安倍氏からの言葉は、祝電であれ、メッセージビデオであれ、教団にとって信者を鼓舞するためのとてもよいプロパガンダになったはずです。
そもそも教団内では、上の言葉を絶対に信じなければならないもので、それに下の者が異を唱えることは許されません。よって、組織の上の人物から「安部晋三氏は統一教会と深いつながりがある」「熱烈な教団の支援者である」と言われれば、信者らはそれを疑うことなく信じて、さらに下の人たちに伝えることになります。
教団が政治家とのつながりを積極的に持とうとするのは、彼らの権威を利用すれば、勧誘と献金を増やせるからです。言ってみれば、政治家は広告塔なのです。