大事なのは免疫力を育てること

もちろん、風呂に入るななどと言いたいわけではないが、過剰にゴシゴシ洗う必要はない。石鹸の泡でそっと汚れを落とせばそれでいいし、汗を流すだけならお湯だけでも十分だと思う。

小さい子どもを連れたお母さんが、子どもの手を除菌シートでゴシゴシ拭きまくってるのを時々見かけるけれど、本当に大事なのは病気に負けない免疫力を育てることだ。そのためには、細菌やウイルスとうまく共存し、風邪のような軽い感染症にかかったり治ったりすることを繰り返すことも必要なのだけど、コロナ禍以降はそうも言ってられなくなったよね。

ただ、このまま手洗いに加えてアルコール除菌まですることが子どもの頃からの習慣になったら、必要な免疫力が育たない危険もあるのではないかと、心配にもなってくる。

僕が子どもの頃は、みんなで泥だらけになって遊び、少しくらい手が汚れていても、その手でおにぎりなんかを食べていたりしていたけれど、そんな光景はもう遠い昔のものになってしまうのだろうな。

動物は生きやすい環境を選ぶ

うちの近所をうろうろしている野良猫の様子を見るにつけ、猫というのは自分が一番、気持ちいい場所をよく知っているのだなあとつくづく思う。暑い日は風通しがよくていかにも涼しそうな場所でゴロゴロしているし、肌寒い日は陽当たりがよさそうなところで丸くなって気持ちよさそうに寝ていたりする。暑さや寒さを我慢してまで同じ場所に留まったりはせず、その時々で自分にとってもっとも好ましい環境を探して移動しているのだ。

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猫に限らず動物というのは、環境に自分を合わせるなどというバカなことはせず、自分にとって一番、生きやすい環境を探しながら生きている。野良猫レベルではたいした移動距離ではないだろうが、ちょっと前にニュースを賑わせた野生の猿なんかは東京中を移動していたよね。

生物は、遺伝子の突然変異と自然淘汰で、環境変動に適応するというのが従来の進化論の考え方だけれども、実は形質が変化したので、自ら棲みやすい環境を求めて移動したという事例のほうが多いに違いない。結果的に、受動的に環境に適応したように見えるのだと思う。

例えばクジラは、5000万年ほど前は四脚の陸上動物であった。

棲んでいた陸地が海になったので突然変異と自然淘汰で徐々に海への生活に適応的になったわけではなく、形態形成システムが変化して脚がなくなったので生活しやすい海に移動したのだと僕は考えている。

環境に適応するような体になるのには相当の年月を要する。突然変異は偶然、起きるものであって、意図的に起こせるものではない。ちゃんとした脚があれば陸地で生きるほうが楽なのだから、無理して海に入る必要なんかない。

たまたま脚の短い個体が生まれ、陸にいると短い脚のせいで敵から逃げられず命の危険にさらされてしまうから、仕方なく浅瀬に逃げ込むことを覚えたのだろう。そうこうしているうちに脚はもっと短くなって、ついにはなくなり、大海原に泳ぎだした――そういう経緯があったに違いない。僕はこれを、能動的適応って言ってるけど、こっちのほうがはるかに合理的である。