“報道機関への不信感”はZ世代で特に根強い
このことは現在、大学で「報道」つまり「ジャーナリズム」を教えている筆者にとっても切実な問題でもある。「新聞学科」というジャーナリズムを自ら学ぼうと入学してくる若者たちでさえ、「報道の理屈」や「ジャーナリズムの論理」を疑問視して、報道機関への不信の姿勢が根強いのである。特にZ世代と呼ばれる、生まれた時からネット環境がある中で育った世代は不正なものに対するアレルギーは他の世代以上に強いと感じる。
そうなるとそうした人に向けて、なぜこうしたアンフェアな報道でもする必要があるのかをいちいち説明していくほかはない。桂田社長をカメラが追いかけ回して問いかけるのも、無断で録音された音声を放送して報道するのも、彼が乗客の安全性をどこまで考えていたのか、あるいは考えていなかったのかは重大な要素だと考えるからだし、それに対して行政などの規則や指導がどこまで効果があったのかという再発防止にもつながっていく問題でもあるからだ。それは明日の全国各地のどこかの遊覧船の安全を守ることにもつながるはずだ。
高まる“マスコミ批判”大手メディアが気づくべき現実
今年3月、既存メディアである新聞やテレビ各社が加盟する日本新聞協会が「実名報道」についての考え方をホームページに掲げた。
3年前の京都アニメーションの放火殺人事件でも明らかになった「実名報道」への強い反発や抵抗。いくら「実名が原則」だという「報道の理屈」や「報道の常識」を押し通そうとしても、今のSNSの時代には通用しなくなっている。
そろそろ、そのことに大手メディアの関係者も気づくべきだ。せめて報道のたびにキャスターらがスタジオで「報道の理屈」を前提にした報道をするのではなく、「この音声の入手はフェアとは言えないもので本来は使ってはいけない素材だけれども、○○人の命にかかわる重大事故の責任に関係するため、今回はあえて報道することにしました」などと説明すべきではないのか。
一定以上の年齢層にとっては当然の常識だと思うようなそうした「報道の理屈」も、丁寧に説明してこそようやく理解してもらえる時代になってきたことを私たちは認識すべきだろう。それを説明しないままで放り出すだけなら「既存メディア」の傲慢とか、「マスゴミ」への批判として不信感を生んでしまうだけだろう。