エリツィンは「彼でいいと思うが…」

九九年初め、ベレゾフスキーが政敵から攻撃されていた頃、プーチンは夫人の誕生パーティーに花束を持って現れた。苦境の友を助ける友情、賄賂を受け取らなかった清潔さ、ペテルブルクでボスのサプチャクを見捨てなかった忠誠心で、ベレゾフスキーは『男の中の男』と評価した。一方で、プーチンを『手下』とみなしていた。

ベレゾフスキーはプーチンを後継候補としてファミリーに提案した。根回しの後、九九年七月、プーチンが家族でバカンスを過ごしていた南フランスに飛んだ。一家が借りていた粗末なコンドミニアムで終日説得し、プーチンは最後に『分かった。やってみよう。しかし、大統領が要請する形にしてくれ』と言った。

プーチンはエリツィンと短時間会った。エリツィンは会見後、『彼でいいと思うが、小柄だな』と言った。二週間後、プーチンは新首相となり、ベレゾフスキーが所有する第1チャンネルで後継擁立キャンペーンが始まった。若く、エネルギッシュで、決断力があるというイメージ作りだった」

エリツィンの身長百八十五センチに対し、プーチンは百六十七センチ。ロシア人にしては小柄で、筋肉質だった。

恩人を血祭りにあげる

新興財閥のベレゾフスキーは金融・メディア部門を牛耳った政界の黒幕である。「手下」とみなしたプーチンを擁立することで利権の継承を狙ったようだが、すぐに裏切られることになる。

名越健郎『独裁者プーチン』(文春新書)

プーチンは二〇〇〇年、ベレゾフスキーをクレムリンに呼び、テレビ局の株式譲渡を要求。拒否されると、「それでは、これでお別れだ」と短く言って部屋を出た。その後、検察による追及が開始され、ベレゾフスキーは逮捕を恐れ、英国に政治亡命した。

当時、プーチンは権力維持装置としてのテレビの威力を認識し、テレビ局の経営権掌握を進めていた。メディア統制と新興財閥の排除が目的とはいえ、恩人を平然と血祭りにあげる冷酷さは相当なものだ。

プーチンは〇一年七月の会見で、ベレゾフスキーとの関係を問われ、「昔から彼を知っている。感情を抑えられない行動的な人物だ。永久に誰かを任命したり、蹴落とそうとし続けるだろう。やらせておけばいい」と冷淡だった。

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