「アルティメット大会は八百長である」という暴論も
当時の格闘技雑誌をめくってみると、超一流の格闘家たちに編集部がこのUFCのビデオテープを観せているが、彼らは極めて否定的なコメントを寄せている。
当時辛口の論評が売りだった「フルコンタクト空手」誌などは「アルティメット大会は八百長である」と断じていた。オクタゴンの中にテープで描かれている模様が、タックルをするときの距離の目安のために引かれている線であるとまことしやかに分析していた。
いま考えれば馬鹿げた話だが、それほどグレイシー柔術というものが当時の“審技眼”では誰にも見えなかったのである。
私自身はさすがに「フルコンタクト空手」の八百長説には乗れなかったが、日本の強い柔道家が出ればホイスは何もできぬまま負けるであろうと思った。
五輪クラスが出るまでもない。強豪高校や強豪大学のレギュラーなら簡単に勝てると思った。そのレベルの柔道家なら現役選手と引退したばかりの半現役だけでも日本に何万人もいる。それらの柔道家が同じオクタゴンに入ればホイスを捻じ伏せて優勝するだろう――私だけではなく柔道関係者はみなそう考えた。
柔道関係者が「ホイスに負けるわけない」と考えた理由
全日本クラスの柔道家は天賦の才を持ち、かつ信じられぬほどの膨大な練習量をこなした怪物たちである。
そういった怪物たちが鎬を削り世界数百万人の競技者のトップを決めるのが五輪柔道の場なのだ。そのトップ柔道家たちに、現役選手が血脈の数十人だけで閉じているグレイシー柔術が勝てるはずがないという偏見に凝り固まっていた。
柔道家たちがこれを大きな間違いだと気づくにはかなりの時間が必要だった。
柔道界のスーパートップとの対戦
分岐点となったのは吉田秀彦とホイス・グレイシーの二度目の戦い(PRIDE、2003年)、そしてアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラとパウエル・ナツラの試合(PRIDE、2005年)の二つだったのではないか。
柔道界のスーパートップである吉田秀彦もナツラも寝技で翻弄され、何もさせてもらえなかった。この2試合は柔道家にとって衝撃的だった。
その後、私自身もブラジリアン柔術のジムへ行き、前三角絞めを極められたり腕十字を取られたりするうちに「同じように道衣を着たグラップリング競技だが柔道とブラジリアン柔術はまったく別ものである」と思った。
球技でいえば柔道はラグビー、ブラジリアン柔術はアメフトやバスケットボール、サッカーという感じだろうか。柔道はパワフルさを前面に出した寝技で、ブラジリアン柔術の寝技はもっとテクニカルで緻密なものであった。
もちろん投技では柔道が格段に上である。しかし寝技においては完全に後れをとっているのは間違いない。