最悪の事態のなか、4分野で新しいことを始められた理由

またその前の、オイルショックのときはたいへんな不況で、仕事がなくなってしまいました。そのため私は、「社員みんなで、全員で売りに行こう」と言いました。

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工場で働いていた人たちも含めて、セラミックスの用途開発のために全員で営業に出て、市場を開拓しようではないかといって、それを実行したのです。

一方、ヒマになった技術陣には「新製品開発を手がけよう」と呼びかけました。太陽電池事業の研究開発は、そのときに始めたものです。

同時にバイオセラムという人工骨や、クレサンベールという再結晶宝石の研究開発も始めました。さらに、今たいへん伸びている切削工具、金属を切削加工する工具の開発も手がけました。

不況で注文がなく、本体の利益が出ないという苦しい局面で、従来のセラミックスの分野とは違う四つの新分野に対して研究開発の投資を始めた。最悪の不景気のときに、新しいことに手を出したわけです。

かねてから無借金で、健全な経営をやってきていましたから、当社には余裕がありました。その余裕があったために、最悪の事態のなかでも積極的に技術開発を進められたのです。

どんな環境でも一貫して「正しい道」を歩いてきた

もちろん、すぐには成功しませんでした。太陽電池などはほんの五、六年前まで、二十五、六年間も赤字が続きました。それでもあきらめずに頑張ってきているのです。太陽電池だけではありません。

四つの事業とも、研究開発の長い呻吟の期間を経て、今では京セラの一角を構成する立派な事業の一つになっています。最悪の不景気のときに積極的な投資をし、景気がよくて、みんなが何をやっても儲かったバブルのときには手を出さないでいたわけです。

そういう話をある人にしたところ、「稲盛さんという人は天の邪鬼なんですなあ」と言われました。

「いや、天の邪鬼で、人の反対のことばかりするというふうに取られたのでは困ります。そうではなくて、私は人間として正しい道を歩いてきたつもりなのです。みんながこうするからあっちをというのではなく、どんなに環境が激変しようとも、正しい道を歩いてきた。天の邪鬼だから、人と反対のことをしたのではありません」と言っておいたのですが、浮利を追わず、公明正大に利益を追求するということがたいへん大事なのです。