かつては多くの一中が独自に予備校を経営していた
補習科の存在――“最強”の予備校、岡山朝日には健在
一中には学校が経営する予備校がある、と言ったら驚かれるだろうか。
現在は岡山朝日、松江北、高松などしかないが、かつては安積、日比谷、鳥取西、広島国泰寺、修猷館、鶴丸などに設置されていた。「○○高校補習科」「○○学館」などと呼ばれていた。河合塾の前理事長、河合弘登氏は1965年に日比谷高校を卒業後、同校の補習科に通っていた。こうふり返っている。
福岡では、修猷館高校が修猷学館、筑紫丘高校が筑紫丘学館、福岡高校が福高研修学園という予備校を持っていた。
九州にいても東京の有名教授の講義が受けられた
1970年代前半、授業料が年間で修猷館卒は11万円、他校卒は14万円だった。ほかの地元予備校は20万円以上だったので、半額だった。メインとなる講師は修猷館を定年退職した教員だが、現職の教員もまざっている。修猷学館は受験に失敗した浪人生の救済という大義名分はあるが、一方で、退職した教員の受け皿という役割も担っていた。
事実上、県立予備校と言われていた修猷学館の存在を問題視していたのが、福岡県教職員組合である。修猷館の教員が勤務時間外に予備校で教えれば疲弊するだけで、教育労働者を守る観点から由々しき問題である。また、放課後、職員会議を開こうにも予備校で教えている教員が不在となれば、人が集まらない。教育運営上、これも由々しことだ、と批判していた。
1974年、修猷学館の校長だった樗木昇一校長は次のように話す。
ブランドもあり、県下トップ校で教える教員のノウハウも期待される。しかも、授業料は半額だ。これではかなわない。地元・福岡の予備校も黙ってはいられない。
福岡の老舗予備校、水城学園は受験雑誌でこう謳っていた。