深く考えずに妻の姓へ
さて、時計の針を戻しましょう。そもそも、なぜ僕が結婚時に妻の姓に変えたかについてお話ししたいと思います。といっても理由はシンプルで、妻が希望したからです。
「私、名字、変えたくないんだけど」
「えっ!」
「女性が改姓するのが当たり前って風潮はどうかと思うんだよね」
「うーん」
僕自身、当時は妻が自分の姓になるものとばかり思い込んでいました。正確にいうと、そのことについて考えたこともなかった。しかも、結婚しようという話になってから突然そう言われたので、やや面食らいました。
そこで、新卒で入社したパナソニックで机を並べていた女性の同僚や先輩、サイボウズの社員たちのことを思い浮かべてみました。
結婚をきっかけに改姓した女性たちは旧姓を名乗り、ふつうに仕事をしている。とくに不満を聞いたこともない。自分の場合、「青野」の名前で仕事さえできれば困らない。――よし、たいした問題にはならないだろう。
そんな軽い気持ちで「じゃあ、僕が名前を変えるわ」と了承しました。
ときは2001年。いまよりもさらに女性側の名字を選ぶ夫婦は少ない時代でしたが、そこはあまり気にならなかった。愛する妻のため……というとかっこいいのですが、正直なところ、深く考えてはいなかったのです。
改姓の苦痛は一時的なものではなかった
ところが婚姻届を出して以降、じわじわと「これはむちゃくちゃ大変やないか」と気づきます。
まずは改姓の手続き。健康保険証、運転免許証。そして、免許証を証明書としている銀行口座、証券口座、クレジットカード、携帯電話、飛行機のマイレージカードから近所の図書館の会員カードまで。さらには、各種ウェブサービスに登録している情報の変更……。
膨大な作業が発生し、どこまで何を変えたか整理するのもひと苦労でした。旧姓でつくった銀行口座を結婚後に解約するときは、戸籍謄本が必要だと言われ、「解約するだけなのに謄本がいるの⁉」と腹が立ったこともあります。しかも、そうした作業には平日に休みを取ったり、あるいは貴重な休日をつぶしたりしなければいけないので余計イライラも増すというもの。根が技術者で合理主義な僕は、不毛な時間にストレスを感じていました。
さらに厄介なのが、それが「結婚直後のみの苦痛」ではなく「ずっと続く」ということでしょう。サイボウズは海外にも拠点があり、僕も海外出張の機会が少なくありません。現地のメンバーやビジネスをする相手が、僕のホテルの予約を取ってくれるのですが、うっかり「AONO」名で取ってしまうと話がややこしくなるから、さあ大変。ホテルに到着してフロントでパスポートを見せたら、
「ニシバタさま? 予約がありませんね」
「アオノではどうですか?」
「あります。でもアナタ、本当にアオノさんですか? パスポート名と違いますが?」
……といったトラブルに発展していくわけです。移動と仕事で疲れ切っているときに、なんと無意味な会話。こうした事態を防ぐため、近年は20年以上前につくった青野姓時代のパスポートを持ち歩いて自らの証明書としています。これも、姓を変えていなければする必要のない工夫です。