焦げたポテトチップスの山

和夫氏は早速、ポテトチップスの製造を試みるが、菓子業者仲間の中でもポテトチップスの作り方を知ってる者などひとりもいない。

創業者・小池和夫氏(画像提供=湖池屋)

「まだ音四郎さんとも知り合っていませんでした。どんなジャガイモが適しているのか、厚さは何ミリがいいのか、油の温度は何度で、何分くらい揚げればいいか。すべてがゼロからの出発です。揚げ用の丸釜にしても、既製品なんてないから手作りです。かりんとう屋さんや揚げ煎餅屋さんで使われてるものを改造していました」

「当時4歳か5歳くらいだった僕は工場によく遊びに行ってましたけど、揚げに失敗して焦げたポテトチップスがいつも大量に積んであるんですよ。それをちょっとつまんで食べてみると、当然まずい(笑)。一体何を作ってるんだろうって、いつも思ってました」

同じ品種のジャガイモを同じように揚げても、焦げるものと焦げないものが出てくる。

「理由は、ジャガイモの個体によって糖度が違うから。糖度が高いと焦げやすいし、低いと焦げにくい。じゃあなんで糖度に違いが出るかというと、収穫後の貯蔵の仕方が違うからなんですね。採れてすぐ冷蔵庫に入れてしまうと、常温で置いておくよりもずっと糖度が上がる。当時はそういうことがわからなかったんでしょうね。親父は1年も2年も、ずっと苦戦していました。同時期、親父以外にもポテトチップスを作ろうと考えた業者はいたでしょうが、皆、苦戦していたと思います」

「日本人には『のり』が合う」

和夫氏は最初のポテトチップスを、アメリカで一般的に流通していた「塩味」ではなく「のり塩」に決めた。

「ポテトチップスはもともとアメリカのものだから、日本風にしないと日本人には合わないと考えたんですよ。海苔だけでなく唐辛子も入れて、味にキレを出すようにしました。当初の揚げ油は米油100%。当時はかりんとうなんかも米油で揚げていて、やっぱり日本人に合うのは米油だと。独特の風味もありますし。ただ酸化しやすいなど安定性の問題もあるので、のちにパーム油(アブラヤシの果実から得られる植物油)と混合するのが主流になりました」

1962年、満を持して「ポテトチップス のり塩」発売。値段は当時の一般的なスナック菓子よりやや高い150円だったが、高級バーのおつまみに比べれば安い。しかし最初は売れなかった。

「最初は流通量が少なくて扱っている店もわずかだったし、ポテトチップスなんて日本人のほとんどが知らないから、見かけたとしても『何これ、おせんべい?』という反応。当時まだスーパーマーケットはなくて、菓子専業店での流通が全体の9割。残り1割は飲み屋などの業務用でした」