リーマンショック後に呼び出され、かけられた言葉

不動産業界がメインの取引先となる石田社長は、様々な人間模様を見ていたのだと思います。2008年の終わりに、私はJESの本社に呼び出されました。当初は、「会社は大丈夫なのか」などと詰問をされるのではないかと、本社に行く足取りはとても重く感じられました。

当時のわが社エスグラントの状況は、連日倒産の危機などと報道され、信用不安による取引打ち切りやクレームなどが続いていました。そのため、私は常に疑心暗鬼になってしまっていたのです。

しかし、本社に足を運んでみると、私の予想とは裏腹に、陽気な石田社長の一言から面談が始まりました。「すぎちゃん、大変だと思うけど、どうだい?」なんだか、拍子抜けしてしまった私は、思わず「どうもこうもないです。めちゃくちゃ大変です」と言ってしまったのです。

そこから自分の窮状をまくし立てたことだけは覚えています。次々に押し寄せる債権者、下がり続ける不動産価格、裏切った銀行、全ては自分の責任にも関わらず、気付くと恨み辛みを言い続けていました。

最後に自分自身の個人資産も会社に提供して全財産を失い、それどころか連帯保証人にもなって十数億円の個人の借金も背負っていることなどを一通りまくし立てた後、「本当に会社は潰れてしまうかもしれません」私はそう言いました。

渡された封筒の中には数カ月分の生活資金が

すると、石田社長はゆっくりと口を開きました。「大変だったんだなあ。すぎ」そう呟いた後に、引き出しから取り出した封筒を私に差し出しました。中を見ると、数カ月分の生活資金になるであろう1万円札が入っていました。

杉本宏之『たとえば、謙虚に愚直なことを継続するという習慣』(扶桑社)

石田社長は私の目を見ると、一言だけ言いました。「黙って持って行け」私は一言も発することができず、しばらく固まっていると「お客様おかえりだよ」石田社長は内線でそう告げると、私をエントランスまで見送ってくれました。のちにお礼のメールを送った時の返信は一言、「あくまでも仕事で、エレベーターを任せてくれたお礼です」でした。

あれから10年、JES社は圧倒的日本一のエレベーターメンテナンス会社となりました。そして、時価総額は、1000億円を超え、東証一部上場企業となったのです。石田社長には、今でも公私共に変わらぬお付き合いをいただいています。あの時の恩は、返しても返しきれるものではありませんが、再び全てのエレベーターをお預けするようになったことが、少しだけ恩返しになったとは思います。

「情けは人のためならず」。石田社長から教わった、人生の大きな教訓だったと感謝しています。

関連記事
「彼らを誇りに思う」アイリスオーヤマ会長が感激した"クビ覚悟"という社員の行動
「本物の富裕層の共通点」"ありがとう"と言わない人は絶対にお金持ちにはなれない
「貸す金は1円もない」廃業に追い込まれても年3億の現金収入をつくった"おばちゃん社長"のすごい方法
「大企業の社長が立てる目標は軽すぎる」ワークマン土屋哲雄専務がそう言い切る深い理由
ブッダの言葉に学ぶ「横柄でえらそうな人」を一瞬で黙らせる"ある質問"