ドイツ文学者でファシズム研究家の池田浩士もまた、ナチス・ドイツや戦時の日本における行為について、「人びとに知られて評価され、賞讃され、人びとの共感を呼んで人びとに共有されながら、拡大再生産されて、人びとの結束を固める力となっていく」と表現している。(注4)
(注4)池田浩士『ボランティアとファシズム 自発性と社会貢献の近現代史』人文書院、2019年、311頁
要するに、たとえ背後に強制力が働いていたとしても、共同体の中で承認されたいという意識が加害行動に駆り立てていたことは否定できない。
イジメに加担、傍観してしまう人の心理
いっぽう傍観者と被害者については、より消極的な形で承認欲求が働いている場合が多い。
イジメやハラスメントがあっても、みてみぬふりをする人や加担する人。彼らはそれを阻止することで加害者であるボスから、あるいは共同体のメンバーたちから承認を失うのがこわいのである。仲間はずれに同調した人は口々に、「仲間はずれするのに加わらないと自分が仲間はずれにされる」と語る。
そのため、内心では助けたい、イジメに加わってはいけないと思ってもそうする勇気がわかない。ちなみに神戸市の公立小学校で起きた教員間の事件でも、ハラスメントを止めたり是正したりする者が出てこなかったと指摘されている。(注5)
(注5)第三者委員会の調査報告書による
組織不祥事も同様であり、多くのケースでは問題が世間に発覚するまでだれも止められない。制度による対策がなかなか効果をあげないことをみても、その深刻さがわかる。
不祥事防止の切り札として2004年に制定されたのが、「公益通報者保護法」であり、内部通報者を保護するため通報者に対して解雇や降格など不利益な取り扱いをすることが禁じられた。
ところが前記の電機メーカーや自動車メーカーによる不祥事などのケースでは、社内に内部通報制度が設けられていたのにもかかわらず不正を早期に発見する役割が果たされなかった。そこからは社員が不正を告発することで、社内の承認を失うのをいかに恐れているかが伝わってくる。
3者の承認欲求がイジメをエスカレートさせる
そしてイジメやハラスメントの被害者の立場からすると、被害をうったえることは自分の弱さを認めることになり、自尊心が傷つく。とくに子どもの場合、学校でいじめられていることを親や兄弟に打ち明けたら、家族という共同体の中での地位、たとえば「頼りになる子」「強い兄(姉)」という評価を失うかもしれない。それは子どもにとっても耐えられないことだ。そのため学校で少々いじめられてもがまんしてしまうのである。