「○○しなさい」ではなく「○○しましょう」という誘い文句

しかし、もっと重要な理由がある。注目したいのはリーダーの発言だ。職場で上司が部下に、学校で教師が生徒に、首長が住民に何かを働きかけるとき、日本では「◯◯しなさい」という命令調ではなく、「◯◯しましょう」といった誘いの形がとられる。それは自分と相手をある意味で対等な立場、すなわち同じ共同体のメンバーだと意識させることによって、相手からいっそう大きな貢献や譲歩を引き出せるからである。

文脈はやや異なるが、コンフリクト(争い)への対応について、組織学者のJ・G・マーチとH・A・サイモンはつぎのように述べている。少々難解なので、かみ砕いて説明しよう。

当事者の利害が根本的に対立するときは「バーゲニング」(取引)や「政治的工作」の方法が、いっぽう根っ子の部分で一致しているときは「問題解決」や「説得」の方法が適している。しかしバーゲニングや政治的工作の方法をとれば、双方の利害が対立していると認めてしまうことになる。

そうすると、組織はより有利なコントロールの手法を用いることができない。そのため組織はたいていの場合、根本的には利害が一致しているとみなして問題解決や説得の方法をとろうとする(※2)

※2:J・G・マーチ、H・A・サイモン(土屋守章訳)『オーガニゼーションズ』ダイヤモンド社、1977年

写真=iStock.com/SARINYAPINNGAM
※写真はイメージです

共同体の一員だと自覚させれば貢献を要求できる

コンフリクトが生じているか否かにかかわらず、実際に運命共同体であること、すなわち双方の利害が一致していることを持ち出すのはたいてい組織の側、あるいは管理職、教師、親といった上位者の側である。それによって従業員、生徒、子から自発的な服従と超過的な貢献を引き出せると考えるからである。

たとえば親と子の意見が対立したとき「家族なので譲り合おう」と説得するのはたいてい親のほうで、「価値観が違うから放っておいて」というのは子のほうだ。

このように利害を共有する共同体のメンバーだという建前をとることで、組織は超過的な貢献を要求することができる。

先に述べたように小集団活動は建前上、自主的な活動とされている。そのため実質上は参加が半ば強制されているにもかかわらず、当初は勤務時間外に無報酬で行われた。