身を挺してかばってくれたソプチャークに忠誠を誓う

KGB第1総局所属時、旧東ドイツのドレスデンで働いていたプーチンは、ベルリンの壁が崩壊し東西ドイツが統一するや、社会主義体制に未来がないことを見抜いてKGBの予備役となる。

1990年に故郷のレニングラード(現サンクトペテルブルク)へ戻り、母校のレニングラード国立大学の学長補佐の職を得た。当時の学長が、改革派知識人のソプチャークだった。そこでプーチンは腹を据えてKGBを退職する。

1991年6月にソプチャークがレニングラード市長選挙で当選を果たすと、プーチンも市役所に移り副市長となってソプチャークを支えたが、当時、プーチンの不適切な財産管理によって市の財政に巨額の損失がもたらされたという批判が議会で巻き起こる。

プーチンに訴追の危険が迫ったが、この時に身を挺してプーチンをかばい、事件化されることを防いだのが市長のソプチャークだった。以来、プーチンはソプチャークに忠誠を誓う。1996年のサンクトペテルブルク市長選挙でソプチャークは再選を目指すも落選する。

ソプチャークを破って当選を果たしたヤコブレフは、副市長のひとりとしてソプチャークを支えてきたプーチンの同僚だった。

引き続き副市長としてともに働いてほしいと慰留されたが、プーチンはソプチャークを破った人間の下では働きたくないと拒否し、モスクワへ転居する。大統領総務局で働くようになり、エリツィンと面識を得るようになった。

プーチンの固い忠誠心を信頼したエリツィン

ソプチャークはゴルバチョフに近い人脈に属する人であり、エリツィンとは緊張関係にあった。黙々と忠実に仕事をこなすプーチンを好ましく思ったエリツィンは、たびたびプーチンに声をかける。

「ソプチャークと絶交するならば、大統領府高官か閣僚に登用してやる」

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プーチンはそのたびに断った。

「ソプチャークは私の恩人で友達です。友達との関係を断つことはできません」

決して「友達」を裏切らないプーチンという男は、エリツィンの目に好ましく映ったに違いない。特権乱用や不正蓄財の疑惑のあったエリツィン一族。政争の過程で流された血も少なくない。

それらの追及を最も恐れていたエリツィンにとって、決して裏切らない忠誠心こそ、後継者に求める資質であった。大富豪は私に言った。

「いまやまったく力がなくなったソプチャークにあれだけ義理立てするプーチンの姿に、エリツィンと彼の家族は『こいつを後継に据えれば、われわれを裏切ることは絶対にない』という感触を持つに至ったんだ」

鉄仮面の下に、そんな人情家としての一面があったことによって、プーチンはロシアのトップに君臨したのである。