人権の保障はそもそも手間とコストがかかる

LGBTQの人権を保障する政策を実現させていくと、かなりの社会的コストがかかるという指摘もあり得ます。性別を変更する手術を全面的に認め、戸籍の変更を認め、法律婚も認め、それに付随する相続に関する法律も変え、学校などでは更衣室やトイレも改装するなどしていくと、たしかにかなりの手間とコストが必要です。

ですが、そうした現実面の課題は時間をかけて1つずつ解決していくしかありません。たとえば、デンマークでは時間をかけて1つずつ課題を潰していきました。その結果、デンマークではほとんどのトイレが男女別にはなっていません。全部が同じような個室仕様です。基本的人権や個人の尊厳に関わる問題は、時間やコストがかかってもやっていくしかないのです。

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コストや手間がかかることでも、慣れればそれが当たり前になるという実例はたくさんあります。たとえば、プライバシーを守るために、個人情報を書いたハガキに黒いシールを貼ることがそれです。これなども面倒といえば面倒だし、コストもかかることですが、プライバシーは大事だという意識が浸透した結果、当然のこととして受け入れられるようになってきました。

LGBTQもそれと同じです。子どもの権利も女性の権利も障がい者の権利も、多くの人権は、最初は「余計な手間とコストがかかる」と批判されながら、現実的な施策をひとつひとつ積み重ねることによって、権利として確立してきたという歴史があります。

日本は先進国標準から2周も3周も遅れている

タテ軸で見る、すなわち歴史的に見れば、日本はもともと性的マイノリティに対して寛容な社会でした。室町時代には、足利義満が世阿弥という美少年をいつも自分の側に置いていたため、貴族たちが「あまり人前で男の子をかわいがるのは見苦しい」と日記に残しているほどです。室町時代は、日本文化の象徴といわれる茶道や華道が始まった時代ですが、当時は同性愛に対して寛容でした。

平安時代にも『とりかへばや物語』のように、今日でいえばLGBTQにあたる人物が登場する物語があります。LGBTQに厳しい眼を向けるようになったのは、男女差別の激しい朱子学に範を得て天皇制をコアとする家父長制の国民国家をつくろうとした明治以降のことで、それ以前の日本ははるかにオープンな社会だったのです。

ではヨコ軸で見たらどうでしょうか。

日本は特別な国だから他国は参考にならないという人がときどきいますが、そもそも人間はホモ・サピエンスという同一種です。世界の先進国がこぞってやろうとしていることは基本的には間違いが少ないという仮定に立ったほうが、賢明な選択ができると思います。

したがって、LGBTQについては、ヨコ軸で考えても、社会的に認めていく方向が妥当だと判断できます。冒頭でも述べたように、G7の中で同性婚を法律で認めている国は5カ国、国の制度としてパートナーシップ(シビルユニオン)を認めている国が1カ国です。これに対して日本は2020年10月末現在でまだ60ほどの自治体がパートナーシップを認めているだけなので、エビデンスベースで考えれば2周、3周遅れもいいところです。