原発についてのツイートで、社会に引っ張り出された

僕は2011年3月11日の東日本大震災、そして福島第一原発事故が起きた後、ツイッターで原発事故についてつぶやいているうちにフォロワー数が一気に増えて、科学者コミュニティの中から社会に発見された、というより社会に引っ張り出された科学者です。当時、福島についてよく知らない、原発についても専門ではないという中で、ひとりの科学者として、次々に発表される大量のデータをチェックし、物理学者の習性からデータをグラフに直してツイートしていました。僕自身が、何が起きているかを知りたいと思い、熱心に取り組んでいたのです。

原発についてはアマチュアではあるけれど、「科学者としてプロの仕事」をして発信していたと、今なら言えます。その中で学んだのは、科学者という仕事の意味です。専門分野の研究は今日、明日に役に立つようなものではなくても、「科学者としてプロの仕事」をすることは、もっと広い意味で社会のいろんなところで、誰かの役に立つものだと考えるようになりました。

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「世界」から「世間」へ移ってわかったこと

確信を持ったのは、大学を離れてからです。僕は定年退職後、大学への再就職という道を選びませんでした。ヴァイオリンの世界的な教育法でもある「スズキ・メソード」(公益社団法人才能教育研究会)の会長として子どもとその保護者の皆さんに関わり、ツイッターで知り合った糸井重里さんに誘われて「株式会社ほぼ日」のフェローとして商品開発や学校事業に携わるようになりました。東京からジュネーヴ、ニューヨークなど世界中の研究機関を飛び回っていた「世界」から、科学者以外の人たちと共同でプロジェクトを進める「世間」へと、生活の場をがらりと変えていくことになったのです。

そこで僕の役に立ったのは、科学者としての経験でした。会社勤めの経験がなかった科学者の僕が、音楽教育組織のトップになり、そして企業のフェローになると言ったときには、多くの人に驚かれました。同僚の科学者たちや先輩方に驚かれただけでなく、何より自分自身が、こんな人生になるとは思いもよらず、驚きました。そしてその時に思ったのは、“僕にとって法人の中に身を置くことは、まさにアマチュアであることだ”ということです。アマチュアとして、手探りでやることは何も怖いことではありません。では、ここでの僕にしかできない「プロの仕事」とは何でしょうか?