70年代の「道草するな」は「勉強しろ」の意味だった
70年代に福岡県で幼少期を過ごした水月さんは、町を味わい尽くすようにさまざまな道くさを楽しんでいたが、季節がめぐるたび、砂利道はアスファルに舗装され、小さな川は次々と暗渠化された。
驚異の好景気で急成長を遂げる日本経済と呼応するように町は姿を変え、大人たちはしきりと「生産性」を叫ぶようになる。
「僕たちが言われた『道くさするな』とは要するに、『勉強しろ』という意味でした。とにかく一生懸命勉強していい学校に入り、一流企業に就職する。そんな社会のレールに乗るために極力、無駄を省けという発想です。
だけどもそれを言うのはあくまで親や先生といった近しい大人たちだけで、社会全体は好景気で不安のない時代。子どもたちが道くさでちょっと悪さをしたって、町の大人たちは温かく見守ってくれていました」
「安心・安全」のための「道草するな」が増えてきた
しかし20世紀が終わろうとする頃、子どもの犯罪被害が相次いだことから通学路の見直しを推し進める声が高まり、2006年にはスクールバスの導入が国政でも言及されるなど、手っ取り早く子どもたちを「安全」の枠に入れて「安心」を得たい大人たちの動きが加速した。
「僕の子ども時代とは全く異なる意味で、『道くさなんてするな』という動きが出てきました。それはつまり子どもの身を守るため、安心・安全という意味です。
しかし、行き過ぎた危機意識によって本来、子どもたちが道くさで得られるはずだった地域社会との絆や信頼が損なわれてしまうのではないか。僕にはそんな懸念が強くありました。
そもそも研究者や学者というのは、世の中の風潮がある一方向に強く、急速に舵が切られようとするとき、その逆のことを考えるのが職能。今こそ道くさの研究をしないといけない、そういう時代についに差し掛かったと感じたんです」
しかし道くさの研究を学会で発表すると、「あなたは子どもに危険な道くさをさせようというのか?」と非難され、水月さんは道程の険しさを感じざるを得なかった。
それでも『子どもの道くさ』を発表したのは、道くさでしかもたらし得ない子どもの発達環境がある、という信念からだった。