自分の母親への「当たり前」が妻への「当たり前」になっている

カウンセリングにきたある男性は、自分の生い立ちを整理する中でこんな記憶を話してくれました。

山脇由貴子『夫のLINEはなぜ不愉快なのか』(文春新書)

「何歳からとは、はっきり覚えていませんけど、物心ついてからは、母親に相談するのは何か恥ずかしいなと思うようになりました。話しても、別にどうにもならないし」

多くの男性は似たような経験をしています。これは母を嫌いになるということではありません。「母親への期待を減らしてゆく」ということです。別の言い方をすれば、母親に出来ないこと、つまり「母親は自分の気持ちを理解して、アドバイスすることはできないのだ」ということを受け入れるわけです。

「母親には分かってもらえない」ということを受け入れた結果、思春期以降の男の子が母親に求めるのは、生活環境を整えてもらうことだけになります。食事やお弁当を作ってくれる。必要なものがあれば買ってくれる。洗濯をしてくれる……など、自分が支障なく快適に生活をおくるのに必要なことだけを求め、それで十分だと考えるようになるのです。妻に家事を期待する男性は減ってはきています。しかし、妻が夫へ母親役を求めるのと同様に、夫も妻に対して、母親のように生活環境を整える役割を求めるのです。そして「生活環境を整えてくれれば十分で、あとは放っておいて欲しい」という思春期以降に男性が母親へ求めるものが、自分の結婚においても妻に望むものとなっているのです。

男性はなぜ、結婚してから話してくれなくなるのか

とはいえ男性も女性と交際しているときは、「相手の好意を得る」という目的・要件がありますから、積極的にコミュニケーションをとろうと心がけます。

ところが結婚すると、そうした意識は次第にうすれて、コミュニケーションのスタイルは母親と息子間の「要件のみ」型に戻っていきます。これは「恋愛は特別、結婚は日常生活」だからです。

とはいえ結婚してからも相手の好意をつなぎとめる必要性は男性も分かっていますので、自分の母親に対してよりはコミュニケーションを多くしようと心がけてはいます。

しかし、ここで家庭内のコミュニケーション量の基準となるのが、ここまで説明してきた母親との会話の量で、息子と娘では全然、ちがいます。だから夫が「妻とはわりと会話している」と思っていても、妻にしてみれば「夫は全然、話してくれない」と感じることになるのです。

すでに説明したように、男性も女性も、結婚生活の中で、自分と母親との関係を再現しようとしている面があります。妻は母親との間のような濃密なコミュニケーションを夫に求め、夫は妻に自分の生活を快適にする役割を求めているというわけです。

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