毒母は認知症となってからも介護に献身する息子を振り回し続けた

介護認定を受けると、母親は要介護1だった。医師やケアマネジャーからは同居するように言われたが、高橋さんは「気性の荒い母と同居すると、私のほうが先にまいってしまうと思うので、通い介護にしたい」と事情を話し、週に1度のペースで、片道2時間かけて実家へ通い、家事や母親の介助をした。

介護と同時に高橋さんは、父親の預金や証券口座などの名義変更手続きを開始。銀行で事情を話してしまったため、父親の預金や証券口座などがすべて凍結されてしまう。預金口座が凍結されたことから、実家の電話も止められてしまい、平日は仕事の合間に凍結解除手続きに奔走せざるを得なかった。

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「当時母は、家に介護認定の調査員さんやケアマネさんが来ると、『わが家を乗っ取りに来た!』と言って大騒ぎしました。被害妄想がひどく、夜中に電話をかけてくることも頻繁。自分が認知症だと思っていないため、わかったつもりで勝手に書類を書いたりサインをしたりして、提出してしまうこともしばしば。要るものと要らないものの区別がつかなくなっており、必要なものを捨ててしまい、捨てたことさえ忘れることも多く、凍結解除のために私が仕事の合間に集めた資料や書類も、私がいない間に捨てられていました。私がどこへやったか聞くと、『凍結解除にいつまでかかってるんだ!』と激怒。また1から資料や書類を集めなければならないと思うと、ものすごい脱力感に襲われました」

自分の預金を切り崩し母親に生活費として渡すも、30秒後には失くす

高橋さんは、母親の介護が始まってからうつ病が再発。心療内科への通院を再開し、2013年、51歳の時に仕事を辞めて、母親の介護に専念し始めた。

父親の預金は凍結されて引き出せないため、自分の預金を切り崩して母親に生活費として渡す。すると30秒後にはどこかへ失くしてしまい、「もらってない!」と激怒する。

実家の中はゴミ屋敷のように雑然としており、リビングには母親が昔から読んでいた婦人雑誌が積み上げられている。母親からは明らかに異臭がしていたが、「風呂に入っているか?」と訊ねると、「昨日も入った」と言い張る。しかし自宅の浴室に入った形跡は見られなかった。

「母は、ケアマネさんに『息子から暴力を受けている』とか、『隣の人からうちが汚いと悪口を言われる』などと、あることないこと言っているらしく、父が亡くなってから私が頻繁に来るようになると、『下宿ではいい加減な生活ができてるかもしれないけど、ここでは許さないからな!』と突然早朝に怒鳴ってきたりして、めちゃくちゃです。私がスーパーで弁当や総菜を買ってきても、目を離したスキにどこへしまったかわからない。数日後に冷凍庫で見つかればいいほうで、見つからないとどこかで腐らせてしまうんです」

母親の認知症は進行し、2014年には要介護3に。高橋さんは大半を実家で過ごすようになった。そして2015年7月、自宅で転倒し、大腿骨を骨折。急性期病院で手術をしてひと月ほど過ごし、転院したリハビリ病院の医師から、「同居して24時間母親を見守ることが可能なら、在宅に戻る方向で治療を続ける」と告げられる。

「つまり、『現実的には施設に入れるしかない』ということです。ショックでした。自分が子どもの頃には親からお金をかけてもらえなかったのに、なぜ自分がこれ以上母親にお金を使わなければならないんだろうと落ち込みました」

それでも母親は気が強く、ささいなことで激昂する。高橋さんは、母親に手を上げたことはないが、口論は日常茶飯事になっていた。

「老人ホームに入れられるくらいなら、死んだほうがマシ! もう殺せ!」と絶叫する母親に対して、「殺さねーよ! バカヤロー! 一人で自殺しろ!」と声を荒らげた。

「私が幼少の頃からしつこく言われ続けてきたことに比べたら、この程度の言い方はかわいいものだと思います。私は中学1年の頃から、親を殺したいと思うよりも、『自分が死んでしまいたい』『消えたい』『楽になりたい』と常に思っていましたから……」