日本から持ってきた羽織袴を着ると下駄をはいて外に出た。もう日本に帰ろう。ただ、帰るにしても、自分を小馬鹿にしたあの外交官を許すわけにはいかない。最後にあの男を殴り倒さねばならん。それをせずに帰ったのでは、負け犬がきゃんきゃんと逃げ帰るのと同じだと岡本は思った。

「ふざけた野郎だ。外交官だと思ってお高くとまりやがって」

カランコロン。岡本は外交官が住む地域に向かって下駄の音を響かせた。

外交官の車の窓ガラスを「蹴り」で粉々に

外交官居住区に着いてはみたが、目的の外交官がどこに住んでいるかがわからない。名前を叫び、「出てこい、こらっ」と叫んでみるが、呼ばれた相手が出てくるはずもない。日はすっかり落ち、のどかな残光がダマスカスの街並みを照らしている。岡本のこうした行動を目撃していたただ一人の日本人が貞森裕だった。彼は岡本と同時期に警視庁から柔道指導員として派遣されていた。岡本は外交官が出てこないことにいらだってくる。

「貞森君、あの男(外交官)の車は日産のブルーバードだったよな」
「確か、そうです」

年下の貞森が丁寧に答えるのを聞き、岡本は周囲を探した。ブルーバードが一台停まっていた。プレートを見ると外交官ナンバーである。

「あった、あった。これだ、これだ」

と言うや岡本は窓ガラスに向けて蹴りを入れた。「パーン」。ガラスが大きな音を立てて割れる。

「おっ、貞森君、俺の腕も捨てたもんじゃないな」

岡本は次々と回し蹴りをする。数秒の間にブルーバードの窓ガラスは全部、割れてしまった。

「よし、俺の腕はしっかりしている」

と岡本は高笑いする。これで気が晴れた。いよいよ帰国である。

来るなら来い。やってやろうじゃないか

岡本が宿舎に引き上げようとすると騒ぎを知った警察官3人が駆け寄ってきた。

小倉孝保『ロレンスになれなかった男 空手でアラブを制した岡本秀樹の生涯』(KADOKAWA)

「シーニー(中国人)か」と警察官が聞く。

「何だと。俺はヤバーニ(日本人)だ」

誇れることなど何一つしていない岡本が、なぜか胸を張って主張する。酔っているこの男を警官が取り押さえようとしたそのときだった。岡本の回し蹴りがパン、パン、パンと音でも鳴らすように3人のあごに入った。3人はそのまま倒れた。

「うん、貞森君、俺も捨てたもんじゃない」
「岡本さん、これは来ますよ。機動隊が」

岡本はいまさら逃げる気はなかった。強制送還してもらった方がいいと思っている。

「機動隊でも何でも、来るなら来い。やってやろうじゃないか」