岡本はまた下駄を鳴らしながら歌う。「蒙古放浪歌」である。

人と生まれて
情はあれど
母を見捨てて
波こえてゆく

岡本の大きな声をかき消すようにサイレン音が近づいてきた。

「おう、来たな」

岡本がサイレンの鳴る方を見るとトラックだった。

「これは大分、大勢で来たな」

銃を持った機動隊相手に素手で殴る、蹴る

岡本の横でトラックが止まる。荷台からぞろぞろ機動隊員が降りてきた。みんなカラシニコフ銃を抱えている。身体の大きな若者ばかりである。十数人はいるだろう。機動隊員が取り囲むようにして岡本を押さえにきた。

そのときだった。岡本の突き、蹴りが次々と隊員に入る。何人かは完全に倒れている。それでも向こうは多数である。岡本も殴られ、蹴られる。そして、このあたりから岡本の記憶は飛んでいる。気づいたら警察学校の将校宿舎で横になっていた。

翌朝、岡本は大使館からの連絡で目を覚ました。大使がかんかんになって怒っているという。

後からシリア国家警察幹部に聞かされた話では、岡本は機動隊十数人を相手に大立ち回りを演じ、隊員たちを次々と殴る、蹴る、そして、殴られ、捕まりそうになると道路端の木に登って、上から飛び蹴りを食らわした。押さえ込まれるとかみつき、急所に蹴りも入れたという。カラシニコフの銃口を向けられてもひるむことなく暴れ回った。機動隊側としても、単身素手で暴れる日本人相手に多勢の側から銃を使うわけにはいかないと判断している。

日本大使館にとっては大問題

1時間近くの乱闘の末、岡本は身柄を拘束され、いったんは近くの警察署に連行され留置場に入れられそうになりながら、ことを穏便に済まそうと考えた警察学校長の指示で宿舎に戻されたらしい。

日本大使館にとっては失態、大問題である。派遣した指導員が大げんかをした末、現地の警官を負傷させた。警官3人のほか機動隊員数人も病院で手当てを受けたらしい。本来なら逮捕されても仕方なかった。

事情を知った大使は岡本を帰国させることを決めた。シリア政府への謝罪の意を示すためにも、岡本に責任を取らせる必要があった。任期途中の帰国になるが、岡本はもとより覚悟していたことである。ただ、くだんの外交官を殴れなかったことが心残りだった。

派遣契約は解除されることになった。書類に署名するために、岡本は大使館に行こうと思った。ただ、冷静になって考えてみると警官や機動隊員には悪いことをしたと反省する気持ちが湧いてきた。彼らは何も悪いことをしていないのに、殴られたり蹴られたりしている。とんだ災難だったなと岡本は反省し、まずは警察学校に寄って校長に謝ろうと思った。