公権力とともにタッグを組む記者たち

対人の情報収集は心理戦である。相手に食い込んで心をゆるませ、口を開かせるためには、根気よく通ったりいっしょに遊んだり酒を飲んだりし、笑顔や紳士面や強面を使い分ける。何せ公務員の守秘義務違反をうながすわけだから。ただ、そのための努力は、はたから見ても努力だとはわかりづらい。

得るべき情報も、そのまま文字や映像となるものばかりではない。例えば、「今月中の捜査は“ない”」とわかることは、読者・視聴者が関知せずとも、その取材チームにとっては大事な情報だ。相手も口に出すとは限らないから、こちらが言葉を投げかけた際の態度や表情で読み取らざるをえないことも。当然、蓄積するストレスも尋常ではない。

出来上がった「シシ舞記者」の記事に、新聞記者も含めた筆者の周囲の同業者たちはそろって爆笑。皆、少なからずこういう哀愁をかみしめているのである。しかしその一方で、公権力の周囲で「タッグ」を組んで他者を排斥する記者諸氏を目の当たりにすると、検事も記者もお互いを守り合う利権集団と化している感がある。だから、麻雀賭博にもさしたる違和感はない。同じ社内の検察担当記者どうしは結束が固く、メモの取り方ひとつ取っても極めて厳しい情報管理を行うので、他部署への情報漏れは皆無ときく。それゆえ、文春記事中に登場する匿名の人物の「産経新聞関係者」という肩書は煙幕では? と勝手に疑っている。そもそもこれだけの案件で情報源を徹底して隠すならともかく、におわすなどまずありえない。

検察幹部に「出てけ!」と追い出された

さらに数年前の話だが、ある大がかりな政治疑獄事件に際して、検察幹部の自宅に疑惑の大物政商が果物を送り付け、幹部はどうもそれを受け取っていたらしい。それを察知した先輩記者とともに筆者は奔走。幹部宅に押しかけると、肯定も否定もせず「出てけ!」と追い出され、直後に某氏から「人を通じてあんたのことを調べてるようだから、気を付けろ」との“警告”をいただいた。

“人”が司法クラブの記者諸氏ということは、某氏の人脈からも容易に想像がついた。筆者の不在中に、検察幹部から編集部にじかに電話も入った。結局、裏を取り切れずに記事化は断念したが、記者諸氏がどちらを向いて仕事をしているのかが垣間見える一件だった。

司法クラブに属する記者諸氏は、検察といっしょに「悪をたたく」気満々だ。それはそれで結構だが、ともすれば検察と一体化し、検察の思惑のままにリークされた情報をそのまま垂れ流すことにつながる。検察はそうやって世間に「こいつは悪い奴だ」と印象づけ、しかる後に逮捕するわけだ。だから、逮捕前の報道内容と起訴された容疑がまるで異なることがままある。そもそも冤罪えんざいを後押しして、被疑者を社会的に抹殺しかねないのが怖い。

「国策捜査」「官報複合体」と呼ばれるようになったこの構造が今も変わっていないとすると、多大なリソースを使って日々こうした涙ぐましい努力をしている新聞・テレビは、果たしてその努力に見合った報道を社会に還元しているのだろうか。「こんなしんどいことをやってて意味あるのかな」と疑念を抱きつつ、スクラム内の空気に圧されたまま日々を送っているとしたら、多くの優秀な記者諸氏にとって不幸ではないか。

コロナが次々とあぶり出す国家の“不具合”

2018年の日産のカルロス・ゴーン元会長逮捕に際し、日本の司法制度の前近代性に驚愕する海外メディアの報道が目についた。その指摘に、新鮮な気づきを多々得た人も少なくないと思われる。本文冒頭のツイッターの異常な膨張ぶりや、弊社オンラインで台湾の閣僚制度について報じた際のネット上の反応を見るに、現在の日本の国家システムの老朽化・機能不全があまりにひどいことを、新型コロナへの対応を通じて誰もがうすうす気づいてしまっているのではないか。

自粛のストレスも相まってか、どこにぶつければよいのかわからないそのストレスのはけ口として、“アベ政権”というわかりやすいターゲットが選ばれたことは必然だが、ことはいち政権のみの問題ではないだろう。コロナ禍が次々とあぶり出してくれる国家の各所の“不具合”を、しばらくはしっかりとウオッチしていくことが必要のようだ。天から降ってきたピンチは、同時にチャンスも与えてくれているはずである。

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