チャンスをもらったらテコを使って倍返しする
夜勤のオペレーターから名門グループ企業のトップへ。しかし、齋藤氏は最短距離で一気にジャンプする起業家タイプではなく、上から落ちてくる岩を次々かわしながら、1合目から2合目、3合目から4合目へと才覚1つで登っていく富士登山タイプを思わせる。
「ぼくは株でいえば、新興市場で値動きのいい株を探して短期的に勝つほうではありません。ただ単に遠回りしている意識はなくて、自分なりにショートカットしている。
だから普通なら20年くらいかかるのを10年ぐらいで到達できたのです。なぜショートカットで上がれたのか。5を求められたら、必ず7とか10にして相手に返してきたからです」
SEに登用されたときは体を壊すほど頑張り、結果、退社することになったが、就職難の中で元上司から推薦状をもらうことができた。
第一証券で支店にパソコンを設置する嫌われ仕事に手を挙げたときは、嫌われない方法を考えて任務を遂行し、さらに現場で得た情報をレポートにまとめて会社に貢献した。実質、経営企画部付きというチャンスを与えられると、次々アイデアを提案して応えた。
伊藤忠と組んだネット証券が資金難に陥れば、個人名義で4000万円も借金してトンネルを抜け出し、旧三和銀行系ネット証券との合併も仕掛けて経営を軌道に乗せた。