『資本論』には、うんと乱暴にいうと、そのようなことが書かれているわけです。革命のための論理を備えた本という側面も、確かに少しはありますが、どちらかといえば、『資本論』は資本主義がどのように機能しているのかについて書かれた本なのです。
【池上】そもそも、人間生活においては、私たちはモノを交換しなければ生きていけません。いわゆる分業をしなければ、とても一人ひとりの生産性を維持できない。そして生産されたもの、あるいはサービスを交換することによって、実際に社会が発展した。そこでの仲介物として貨幣が生まれてきた、ということですね。
日本人の多くは無神論者ではない
貨幣がどんどん広まるうちに、貨幣があれば何でもできるということになってくる。するといつしか「貨幣が欲しい」「お金さえあれば何とかなる」といって、貨幣を崇めたてるようになり、それこそお金自体がまるで神のようになって人びとを動かしていく。資本主義経済にはそういう恐ろしさというか、発展の過程で「お金という神さま」を生み出す構造があるのだ、という話です。
【佐藤】その通りです。
日本社会では、特定の宗教を信じていない、あるいは自分は無神論者だ、無宗教だと積極的にいう人も多いと思います。ところが、もし誰も見ていない場所で、落ちている一万円札を見つけたとしたらどうするでしょうか? これを拾ってそのままポケットに入れるとしたら、それはカネに力があると認めていることになるわけです。一万円札を一枚刷るのには、23~24円ほどしか掛かっていないはずです。冷静に考えれば、24円で一万円分の商品やサービスが買えるのはおかしいわけですが、その価値を信じているからこそ、黙って自分のものにするという行為が成り立ってしまう。
これはつまり、みな実は拝金教という宗教を信じている、ということになります。
ただ、私自身はあまり札の価値を信じていません。というのは、1991年1月にモスクワで、ある日突然、高額紙幣である50ルーブル、100ルーブルの流通が禁止されるという事態を目の当たりにしているからです。カネというのは、ある日を境に本当に価値がなくなることを実感したのです。
出世・学歴信仰も「宗教的なもの」だ
【佐藤】拝金教だけではないですね。ほかにもわれわれの多くが信じている宗教として、例えば出世教があります。どうでしたか? 池上さんが昔勤めていた会社では、出世好きの人はいましたか?
【池上】いましたよ。最初はみんな、ジャーナリズムの仕事をしたいと言って会社に入ってきたであろうに、組織の中にいるとだんだん変化してきて……。「あれ? この人はどっちを向いて仕事をしているのだろう?」と感じる人はいました。