予防方法として定着し、マスク着用がマナーになる

当時の新聞記事を読む限り、昭和初期にはマスク着用がかなり定着したようです。風邪やインフルエンザが蔓延するたびに、感染者・健康者ともにマスク着用が励行されました。

例えば1927(昭和2)年1月16日の朝日新聞には「マスクをかけうがいを忘るな」と題した記事が掲載され、インフルエンザ感染予防対策としてのマスク着用の重要性が、当時の政府の防疫官の口から語られています。

しかし、マスクへの見解は実にさまざまなものでした。昭和初期には、伝統的な風邪に対する発想を引き継ぎ、冷たい空気を避けるためにマスクを着けるべきとの見解も見受けられます。同時に、近代科学を根拠にその誤りとして指摘し、感染者からの飛沫を吸い込まないためにマスクを着用すべきという考えが度々紹介されるようになりました。

さらに重要なのは、マスクによる病原菌の「ろ過」「殺菌」という考え方です。しかし、戦時期になるとマスク着用は過剰防衛であり低効力を弱め身体を弱体化させるとする言説も登場します。これらの異なる考えはお互いにとても入り組んだ形で存在していました。

しかし昭和初期・戦時中の時代を全体的に俯瞰すると、マスク着用それ自体は公衆道徳的な意味を持つほどに定着していました。1940年代には感染者のマスク着用はマナーと言われはじめ、マスクが贈り物として価値を持ち始めたほどです。

戦後マスク史に欠かせない「インフルエンザ」と「花粉症」

大正時代のマスクは黒朱子だけが使われていましたが、その後、べッチン製や皮製のものも現れます。白いガーゼマスクが主流になるのは戦後になってからです。現在、幅広く使用されている「不織布マスク」が台頭するのは1990年代になってからです。

戦後は「イタリアかぜ」(1947~1956年)、「アジアかぜ」(1957年)、「香港かぜ」(1967年)、「ソ連かぜ」(1977年)といったインフルエンザの大流行があり、そのたびに白いガーゼマスク姿の人々で街はにぎわいました。

インフルエンザの予防策はワクチン接種が主流となり、1980年代までにマスクは停滞したかに見えました。しかし副作用が問題になると、再びマスクが浮上したのです。そして、日本人にマスクを一気に普及させたのが「花粉症」です。

花粉症が社会問題化したのは1960年代ですが、当初は抗ヒスタミン剤などが注目されていました。しかし、薬の副作用に対する懸念などが広がり、1980年代から現在に至るまで、マスクが花粉症対策として支配的な地位を占めるようになりました。

1990年代以降、マスクは花粉症とインフルエンザ対策の2つの領域で用いられ、マスクの市場規模も急速に拡大していきます。

2009年の新型インフルエンザに加え、2011年の東日本大震災の直後は、福島の原発事故に伴う放射性物質対策、2013年ごろからはPM2.5対策としてマスクを大勢の人がマスクを買い求めるようになりました。