貧窮するグデーリアンと名声を望むリデル=ハートの協力
また、グデーリアンは、戦後になってから、自分は早くよりイギリスの軍事思想家であるバジル・H・リデル=ハートの著作に注目し、これを咀嚼して、ドイツ装甲部隊の指揮と運用に応用したと主張している。
だが、こうした議論は、第二次世界大戦後のグデーリアンとリデル=ハートの協力関係から来る後付けの誇張であると指摘された。
この問題について、イスラエルの軍事史家アザー・ガットが、リデル=ハートの要請によりグデーリアンが、『電撃戦』英訳版に加筆した部分があることをあきらかにしたのだ。
むろん、そこでは、ドイツ装甲部隊の成功にリデル=ハートの思想が寄与していたことを、実際以上に強調していたのである。
続々と明らかになった誇張や「不都合な事実」
さらに、『電撃戦』の実戦指揮に関する記述にも、事実と異なる部分が少なくないことが指摘された。
オーストラリアの戦史家で、スモレンスク戦(1941年)を独ソ戦の転回点として捉える画期的な研究書を著したデイヴィッド・ストーエルが、グデーリアンの書簡などの一次史料にあたり、『電撃戦』の誇張や恣意的記述を暴露したのである。
ストーエルによれば、『電撃戦』に圧勝として描かれているいくつかの戦闘のあいだも、グデーリアンは実際には悲観と苦渋をあらわにしているというのだ。
同様に、グデーリアンの私文書を含む一次史料を博捜したドイツの歴史家ヨハネス・ヒュルターも、グデーリアンは自らが提示したような非政治的軍人ではなく、ナチスの東方征服を支持する存在であったことをあきらかにした。
『電撃戦』の原案は米軍調査への自己弁護?
加えて、『電撃戦』の上梓は、戦争指導をめぐるヒトラーその他とのあつれきに関して、おのれを弁護する活動の一環であり、さらには収入を得るための手段だったこともわかってきている。
米陸軍歴史局(Historical Branch)は、戦史研究にかつての敵側の視点や情報を取り入れるため、1945年7月より、ドイツ国防軍の元高級将校に対する調査や報告書作成の依頼を行っていた。
やがて、その規模は拡大され、元国防軍高級将校がヒトラーに敗戦の責を押しつけ、自己弁護を唱える場という性格を帯びていくことになる。
ドイツの歴史家エスター=ユーリア・ホーヴェルの研究によれば、グデーリアンは、この米軍による調査に協力的であった。その理由の一つとして、彼が米軍による調査を自己弁護の機会として捉えたとの推測が成り立つであろう。
実は、このグデーリアンの米陸軍歴史局に対する回答が、『電撃戦』の原案の少なからぬ部分を構成しているのである。