エジプト、トルコ、イランの人口ピラミッド比較
中東の人口大国はイラン、トルコ、エジプトであり、世界銀行によれば2018年中東3カ国の総人口は、それぞれ8180万人、8232万人、9842万人である。この3国に次ぐ規模のイラク、サウジアラビアが3000万人台なのと比べると差が大きい。そこで、イスラム圏の中でのイランの特殊性を理解するために、イランの人口ピラミッドをエジプト、トルコと比較してみよう(図表4参照)。
一目瞭然だと思うが、3カ国の人口ピラミッドのパターンは大きく異なっている。エジプトは「富士山型」に近く、トルコは「つりがね型」の典型のかたちである。そしてイランは前述の通り「富士山型」から「つぼ型」へと一気に移行したパターンである。
イスラム圏ではエジプト型が一般的であり、トルコや特にイランのパターンは少数派である。
こうした違いをもたらしたのは出生率の動きと見て、まず間違いがない。図表5で3カ国の出生率の推移を比較した。
シーア派イスラム教のイランだから出生率が大きく変化
イスラム革命(1979年)より以前は、イラン>エジプト>トルコの順であった。
イスラム圏の中でトルコは1923年のトルコ革命以降、指導者ケマル・アタチュルクが「西欧化」を推進し、公の場から宗教的なものを一切排除、女性のベールやスカーフを公の場で着用することを禁止、一夫多妻の禁止なども行った。トルコの出生率の水準が一番低かったのもそれと軌を一にしている。
エジプトでは、政教分離という点でトルコ型の近代化政策を追求し、出生率も全般的に徐々に低下傾向をたどってきている。革命後のイランの出生率は、エジプト、トルコを一気に追い抜いて下がった点が印象的である。
イランで出生率のこうした大きな変化が可能だったのは、スンニ派イスラム教であるエジプトやトルコとは違って、シーア派イスラム教を奉じていたためと考えられる。
オスマン帝国以来のイスラム教主流派はスンニ派であるが、スンニ派ではイスラム教徒の日常生活を取り仕切るイスラム法の根拠となる「コーラン」などの聖典については、それらを個人が自由に解釈することは許されず、すべて従来の権威者の解釈を踏襲すべきだとされている。
このため、昔のままのイスラム法ではやっていけないと信じる者は、西欧主義に転じる他はなく、政教分離の道を選ばざるを得なくなる。トルコやエジプトで政権を握った者たちがたどった道である。しかし、民衆はなおイスラム法に沿った生活をしているので社会はそうやすやすと近代化していかないのである。