日韓の足並みが乱れれば北朝鮮を利するだけ
安倍首相は2015年12月の慰安婦問題をめぐる日韓合意(「最終的かつ不可逆的に解決する」ことで合意)を文在寅大統領にあからさまにひっくり返され、そのときの強い不信感は消えていないはずだ。
しかし日本政府は今回の会談を受け入れた。その背景には、北朝鮮が核・ミサイル開発を続けるなか、「日韓の足並みが乱れれば北朝鮮を利するだけだ」と判断したことがある。
日中韓の3首脳が集まる機会を捉えて、韓国大統領との個別会談を設定した外交力は評価したい。しかも日本政府は会談のために、輸出管理厳格化の措置について政策的な外交対話を実施し、そのなかで一部品目の運用を見直すことで韓国への配慮も示した。
「対日関係改善の意思があるのか。極めて疑わしい」
産経新聞の12月25日付社説(主張)は冒頭部分でこう書く。
「約1年3カ月ぶりの正式会談だったが、冷え込んだ両国関係修復に向けた具体的な前進はなかった。その責任は、文大統領の側にある」
前進が見られなかったのは全て相手の韓国大統領の責任である、というはかなりの極論である。会談で両首脳がそろって日韓関係の重要性を強調したことは前向きに捉えるべきだ。最悪とまで言われた日韓関係を思えばなおさらのことである。
産経社説は続けて韓国を批判する。
「安倍首相は最大の障害となっている『徴用工』判決問題について、韓国側の責任で解決策を示すよう促したが、文大統領は応じなかった。文大統領は、安全保障に絡む日本の対韓輸出管理の厳格化の撤回を求めた」
「文大統領には対日関係改善の意思があるのか。極めて疑わしい。日本が国交の基盤である日韓請求権協定の違反状態を受け入れたり、韓国側の改善なしに兵器転用の恐れがある輸出品の管理を緩めたりできるわけもない」
「改善の意思があるのか」「極めて疑わしい」という表現は、あまりに一方的だ。単純な批判を繰り返すのではなく、社説としての格調を保ちながら韓国側の非を論理的に追及してほしかった。感情的な批判が続くと、社説の主張自体が薄っぺらに感じられてしまう。