38歳の大阪府知事として僕が経験したこと
小泉さんは、これから環境省職員から膨大なレクチャーを受けることになるだろう。環境省が考えている政策や、抱えている課題を一気に大臣に説明する。
僕が2008年大阪府知事に就任したのも38歳。行政の経験がないまま大阪府知事に就任するので、僕は準備期間が必要だと思った。ゆえに当時、関係が良好だった自民党大阪府議議会議員団にお願いをして、知事就任日の2週間くらい前から、大阪府庁に次期知事予定者特別室を作ってもらった。
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当時は2008年の1月も下旬。すでに太田府政として、2008年度(4月から)の予算を組んでいた。大阪府庁の幹部は、この予算はとりあえずそのまま通して欲しい、予算に影響しないところで改革をして欲しいという意向だった。予算を議決する府議会は2月から始まる。遅くても3月中に議会の議決を得なければ、4月からの2008年度の予算が執行できなくなる。しかし、太田府政の予算をそのまま認めれば、橋下府政による改革にはならない。
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僕が府知事に立候補する直前に、朝日新聞が大阪府庁のでたらめな財政運営をスクープした。借金返済のために積み立てていた5500億円の減債基金を使い果たしてしまったので、借金を返すための借金である借換債の増発という禁じ手の借金をしない限り、2008年度の予算を組むことができないというものだった。仮に借換債の増発をストップすれば、当時財政破綻した北海道の夕張市と同じく、大阪府も財政破綻するというものだった。
だから僕は選挙戦において、このでたらめな大阪府政を一から立て直すと約束して、当選したんだ。
にもかかわらず、太田さんが組んでいた2008年度の予算は、当然、この借換債の増発を前提としていた。大阪府庁の幹部は、僕が選挙戦で何を有権者に約束していたのか分かっているくせに、借換債の増発は当然のこととして主張してくる。
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