同じ年齢の集団は「同調圧力」が働きやすい
同年齢集団は、どうしても同調圧力が働きやすく、異質な存在を排除しようとする傾向を生み出してしまうものです。その結果、子どもたちは人と違うことを恐れ、空気を読み合うことをいくらか強いられるようになります。
“人と違う”がゆえに学校になじめず、ついには不登校になってしまった子どもたちと、わたしはたくさん出会ってきました。でも彼らの多くは、学校を一歩出ると、実はとても生き生きとできるものです。実はわたしのゼミにも、不登校の中学生や高校生などがよく参加しています。彼女たちは、大学生に引けを取らないくらい、議論に対等に、そして楽しそうに参加しています。
コミュニティが同質であればあるほど、わたしたちは息苦しくなるものです。でも、もし多様性が担保されていたならば、そしてその多様性を必要に応じて行ったり来たりできたなら、自分がより生き生きできる人間関係を見つけることも容易になるに違いないのです。
学校をさまざまな人が学ぶ「複合施設化」する
そんなわけで、わたしが思い描いている未来の学校の姿は、幼児から小・中学生、高校生、大学生、地域の人やお年寄り、障害者や外国人まで、とにかく多様な人が当たり前のように集い合う、“多様性がごちゃまぜのラーニングセンター”です。学校の複合施設化と言ってもいいでしょう。学校を、子どもたち“だけ”が学ぶ場ではなく、さまざまな人たちが集い学び合う場にしていくのです。そうして、多様な人たちが、必要に応じて、同質性や多様性を行ったり来たりできる環境をつくるのです。
学校は、なぜ子どもたち“だけ”が学ぶ場でなければならないのでしょう? せっかくの学習施設です。必要に応じて多様な人が集い学び合う、相互刺激の場にしてみてはどうでしょう?
そんなことできるわけがない、と思われるかもしれません。
確かに、壁はいくつもあるでしょう。セキュリティの問題は、特に考えなければならない問題です。
でもわたしは、いくつもの理由から、これは20~30年後の未来にはきっと実現する、少なくとも実現させるべき学校の姿だと確信しています。