正論・異論・暴論オジサンは「俺の話を聞けー!」と心で叫ぶ
不機嫌なオジサンの類型としては、他にも事例がある。
たとえば、人が何か言うと必ず文句をつける「異論オジサン」だ。代案は特にないのに、とにかく何かにつけてダメ出しをする。このタイプは読者の皆さんの周りにもいるのではないか。
もうひとつが、「暴論オジサン」だ。6月10日、自宅の近くで送迎バスを待つ幼稚園児の声がうるさいと、腹を立て、園児の自宅の郵便受けに、「子どもたちを静かにさせろ。出来なければ何があっても文句は言うな」などと書いた脅迫文を入れたという容疑で東京・足立の71歳の男性が逮捕された。
正論、異論、暴論……。こうしたオジサンたちの共通点は何か。
それは「俺の話を聞けー!」と言う魂の叫びではないだろうか。拙著『世界一孤独な日本のオジサン』で触れたように、退職後の高齢男性の多くは、「自己承認欲求」というモンスターと格闘している。
日本の組織は極端なタテ社会であり、年を重ねれば重ねるほど、表向きは敬意を払われるようになる。その中で、彼ら問題オジサンたちのデフォルトとなっているのが、上下関係に基づく「マウンティング」のコミュニケーションである。
仕事をしているうちは、その存在も功績も認められる。だが退職すれば、自分の話に耳を傾けてくれる部下も後輩もいなくなり、絶望的な寂寥感にとらわれる。「肩書」に基づくタテのコミュニケーションしかしてこなかったために、友人や仲間を作るヨコのコミュニケーションのやり方がわからない。
「誰からも相手にされない」「認められない」「達成感がない」「まるで透明人間になったようなむなしさを覚える」……。行き場のない「自己承認欲求」を持て余し、苦しむ男性は少なくない。
正論オジサンと「ゴミ屋敷」の住人の共通点
冒頭で触れた「正論オジサン」は、「年寄りは日本を背負って立った人間。だから高齢者は尊重しなければならない」と主張する。言外に「俺を敬え」「話を聞け」と言っているわけだ。
人は「コミュニケーション欲求」「つながり欲求」を持つ生き物である。うまく人とつながることができない場合に、時としてアルコールとつながるなど、何かに依存するなどの弊害が生まれるケースがある。
「ゴミ屋敷」の住人も同じだ。hoarding disorder(ためこみ症)という精神疾患の場合、人とのつながりの代用として、ゴミとつながっており、「孤独」との関連性が高いとも言われている。正論オジサンに置き換えた場合、商店街の「パトロール」は彼なりのコミュニケーションであり、つながり欲求のはけ口だと考えることができる。
人は物事の見方によって2つのタイプにわけられると言われている。ひとつは、物事を一段高い次元から見るメタ認知力を持つ「全体最適」型。もうひとつは、ディテールの正しさにこだわる「部分最適」型だ。暴走オジサンには後者の場合も多いのかもしれない。高齢化により、脳の機能が低下し、感情抑制が難しくなるという側面もある。
また子供の声がうるさいと感じる人の中には、他人が発する音を異常に嫌がる「misophonia(ミソフォニア=音嫌悪症候群)」という疾患である可能性もある。その場合は治療が必要だ。